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Channel: 倭人伝を解く
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冬前畔五骨都侯子

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冬前畔五骨都侯子復將其眾三千人歸南部北單于使騎追擊悉獲其眾

冬、前に畔(そむく)した、五つの骨都侯の子が復(また)、その衆三千人を将(ひきいる)して南部に帰り、北単于は騎を遣わして追撃した。悉くその衆を獲った。

南單于遣兵拒之逆戰不利於是復詔單于徙居西河美稷因使中郎將段郴及副校尉王郁留西河擁護之為設官府從事掾史

南単于は兵を遣わして之(これ)を拒み、逆戦(出迎えて戦う)して不利になった。是(ここ)に於いて復(また)、単于に詔(みことのり)して、西河美稷に徙居(移り住む)させた。因りて、中郎将段郴、及び副校尉王郁を使わして西河に留め之(これ)を擁護させた。官府、從事、掾史の設置を為した。

令西河長史歲將騎二千弛刑五百人助中郎將衛護單于冬屯夏罷自後以為常及悉復緣邊八郡

西河長史令して歳に騎二千、弛刑(強弓或いは弩弓の兵士? 弛(チー、タ)=強(チアン)=弩(ト)? 刑(ケイ)=弓(キュウ)?)五百人を将(ひきいる)させ、中郎将を助け単于を衛護させた。冬に屯し、夏に罷(帰る)した。後より常と為すを以てし、及び、尽く縁辺八郡を復した。

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