南單于既居西河亦列置諸部王助為扞戍
南単于が既に西河に居してから、亦、諸部王を列置して、扞戍の為に助けさせた。
使韓氏骨都侯屯北地右賢王屯朔方當于骨都侯屯五原呼衍骨都侯屯雲中郎氏骨都侯屯定襄左南將軍屯鴈門栗籍骨都侯屯代郡皆領部眾為郡縣偵羅耳目
韓氏骨都侯を使わせて北地に屯させ、右賢王を朔方に屯させ、当于骨都侯を五原に屯させ、呼衍骨都侯を雲中に屯させ、郎氏骨都侯を定襄に屯させ、左南将軍を鴈門に屯させ、栗籍骨都侯を代郡に屯させ、皆、部衆を領し、郡県の偵羅耳目と為った。
北單于惶恐頗還所略漢人以示善意鈔兵每到南部下還過亭候輒謝曰自擊亡虜薁鞬日逐耳非敢犯漢人也
北単于は惶恐(おそれる)し、頗る略した所の漢人を還し、善意を示すを以てした。。鈔兵(略した兵)は、南部下に到る毎(ごと)に、亭候に過(たちよる)ぎて還り、輒(そのたびごとに)謝して曰く、「自ら亡虜の薁鞬日逐を撃った耳(だけ)で、敢えて漢人を犯したのでは非ざるなり」と。
二十七年北單于遂遣使詣武威求和親天子召公卿廷議不決
二十七年(51)、北単于は遂に使者を遣わして武威に詣でさせ和親を求めた。天子は公卿を召して廷議したが決まらず。
皇太子言曰南單于新附北虜懼於見伐故傾耳而聽爭欲歸義耳
皇太子が言った、曰く、「南単于が新に附き、北虜は伐を見ることを懼れ、故(ゆえ)に耳を傾けて聴き、争って義に帰することを欲する耳(のみ)。
今未能出兵而反交通北虜臣恐南單于將有二心北虜降者且不復來矣帝然之告武威太守勿受其使
今、未だ出兵できないうちに反(かえ)って北虜に交通すれば、臣(わたし)は南単于が将(まさ)に二心を有さんとすることを恐れる。北虜の降者は且(とりあえず)復(また)来ないように」と。帝は之を然りとし、武威太守にその使いを受けることが勿(ない)よう告げた。
南単于が既に西河に居してから、亦、諸部王を列置して、扞戍の為に助けさせた。
使韓氏骨都侯屯北地右賢王屯朔方當于骨都侯屯五原呼衍骨都侯屯雲中郎氏骨都侯屯定襄左南將軍屯鴈門栗籍骨都侯屯代郡皆領部眾為郡縣偵羅耳目
韓氏骨都侯を使わせて北地に屯させ、右賢王を朔方に屯させ、当于骨都侯を五原に屯させ、呼衍骨都侯を雲中に屯させ、郎氏骨都侯を定襄に屯させ、左南将軍を鴈門に屯させ、栗籍骨都侯を代郡に屯させ、皆、部衆を領し、郡県の偵羅耳目と為った。
北單于惶恐頗還所略漢人以示善意鈔兵每到南部下還過亭候輒謝曰自擊亡虜薁鞬日逐耳非敢犯漢人也
北単于は惶恐(おそれる)し、頗る略した所の漢人を還し、善意を示すを以てした。。鈔兵(略した兵)は、南部下に到る毎(ごと)に、亭候に過(たちよる)ぎて還り、輒(そのたびごとに)謝して曰く、「自ら亡虜の薁鞬日逐を撃った耳(だけ)で、敢えて漢人を犯したのでは非ざるなり」と。
二十七年北單于遂遣使詣武威求和親天子召公卿廷議不決
二十七年(51)、北単于は遂に使者を遣わして武威に詣でさせ和親を求めた。天子は公卿を召して廷議したが決まらず。
皇太子言曰南單于新附北虜懼於見伐故傾耳而聽爭欲歸義耳
皇太子が言った、曰く、「南単于が新に附き、北虜は伐を見ることを懼れ、故(ゆえ)に耳を傾けて聴き、争って義に帰することを欲する耳(のみ)。
今未能出兵而反交通北虜臣恐南單于將有二心北虜降者且不復來矣帝然之告武威太守勿受其使
今、未だ出兵できないうちに反(かえ)って北虜に交通すれば、臣(わたし)は南単于が将(まさ)に二心を有さんとすることを恐れる。北虜の降者は且(とりあえず)復(また)来ないように」と。帝は之を然りとし、武威太守にその使いを受けることが勿(ない)よう告げた。