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八年遣越騎司馬鄭眾北使

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八年遣越騎司馬鄭眾北使報命而南部須卜骨都侯等知漢與北虜交使懷嫌怨欲畔密因北使令遣兵迎之

八年(65)、越騎司馬鄭衆北使を遣わし命を報告させた。而して南部須卜骨都侯らが漢が北虜(北匈奴)と使いを交えたことを知った。嫌怨を懐き、畔(そむく)を欲した。密(ひそかに)北使に因りて、令して兵を遣わしてこれを迎えさせた。

鄭眾出塞疑有異伺候果得須卜使人乃上言宜更置大將以防二虜交通

鄭衆が塞を出ると、異が有るを疑い、伺候(ねらいうかがう)すると果たして須卜の使人を得た。
乃(そこで)、上言して宜しく大将軍を更置し、二虜(南匈奴と北匈奴)の交通を防ぐを以てした。

由是始置度遼營以中郎將吳棠行度遼將軍事副校尉來苗左校尉閻章右校尉張國將黎陽虎牙營士屯五原曼柏

是に由り、度遼営を置くことを始め、中郎將吳棠を以て度遼将軍事を行うを以てし、副校尉来苗、左校尉閻章、右校尉張国が黎陽虎牙営士を将(ひきいる)して、五原曼柏に屯した。

又遣騎都尉秦彭將兵屯美稷

又、騎都尉秦彭を遣わして兵を将(ひきいる)して美稷に屯させた。

其年秋北虜果遣二千騎候望朔方作馬革船欲度迎南部畔者以漢有備乃引去

その年の秋、北虜(北匈奴)は果たして二千騎を遣わして朔方を候望させた。馬革船を作って、渡って南部の畔者を迎えることを欲したが、漢の備え有るを以て、乃ち引き去った。

復數寇鈔邊郡焚燒城邑殺略甚眾河西城門晝閉帝患之

復(また)、数(たびたび)、辺郡を寇鈔し、城邑を焚焼し、殺略すること甚だ衆(多い)で、河西城門は昼も閉ざされた。帝はこれを患えた。

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