Quantcast
Channel: 倭人伝を解く
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

臣與諸王骨都侯

$
0
0
臣與諸王骨都侯及新降渠帥雜議方略皆曰宜及北虜分爭出兵討伐破北成南并為一國令漢家長無北念

臣(わたし)は諸王、骨都侯及び新たに降った渠帥と方略を雑議し、皆、曰く、宜しく北虜(北匈奴)の分争に及んで、兵を出して討伐し、北成南を破って併せて一国を為(つくる)し、漢家の長に北の念(おもい)を無くさせるべきであると。

又今月八日新降右須日逐鮮堂輕從虜庭遠來詣臣言北虜諸部多欲內顧但恥自發遣故未有至者

又、今月八日、新たに降った右須日逐鮮堂軽が虜庭(北匈奴の都)従(より)遠来して臣(わたし)に詣でた。言った、北虜(北匈奴)の諸部は多くが内顧(ひそかにおとずれる)を欲し、但(ただ)、自ら遣を発することを恥じ、故(ゆえ)に未だ至った者はいないのである。

若出兵奔擊必有響應今年不往恐復并壹臣伏念先父歸漢以來被蒙覆載嚴塞明候大兵擁護積四十年

若し、兵を出して奔撃すれば、必ず、響応が有るだろうと。今年は往かなければ、壱(みな)を併せて復することを恐れる。臣(わたし)は伏して念ずる、先父が漢に帰服して以来、覆載(天地のめぐみ)を被蒙(こうむる)し、塞を厳(警戒する)し、候(うかがう)を明らかにし、大兵は擁護(かばいまもる)し、積すること四十年。

臣等生長漢地開口仰食歲時賞賜動輒億萬雖垂拱安枕慚無報效之義

臣(わたし)らは漢の地で生まれ成長し、開口(飲食する)して食を仰(うやまう)し、歳時には賞賜し、動輒(ややもすれば事をするごとに)億万で、垂拱安枕(腕組みして何もせず、安心して寝る)と雖も、効に報いるの義が無いことを慚(はじる)する。

願發國中及諸部故胡新降精兵遣左谷蠡王師子左呼衍日逐王須訾將萬騎出朔方左賢王安國右大且渠王交勒蘇將萬騎出居延期十二月同會虜地

願わくは、国中及び諸部の故胡、新降の精兵を発して、左谷蠡王師子、左呼衍日逐王須訾を遣わして、万騎を将(ひきいる)して、朔方に出だし、左賢王安國、右大且渠王交勒蘇に万騎を将(ひきいる)させて居延に出だし、十二月を期して虜地(北匈奴地)に会同させることを。

臣將餘兵萬人屯五原朔方塞以為拒守臣素愚淺又兵眾單少不足以防內外

臣(わたし)は余兵万人を将(ひきいる)して五原、朔方の塞に屯し、拒守を為すを以てする。臣(わたし)は素(もとより)愚浅で、又、兵衆は単少(弱い)で、内外を防ぐを以てするには足らず。

願遣執金吾耿秉度遼將軍鴻及西河雲中五原朔方上郡太守并力而北令北地安定太守各屯要害冀因聖帝威神一舉平定臣國成敗要在今年

願わくは、執金吾耿秉、度遼将軍鴻及び西河、雲中、五原、朔方、上郡太守を遣わし、力を併せて北へすすみ、北地太守、安定太守に令して、各々要害に屯させることを。冀(こいねが)う、聖帝の威神に因りて、一挙に平定することを。臣(わたし)の国の成敗は、要(かなめ)は今年に在る。

已敕諸部嚴兵馬訖九月龍祠悉集河上唯陛下裁哀省察太后以示耿秉

已(すでに)、諸部に勅(みことのり)して兵馬を厳(うやまう)させ、九月の龍祠に訖(いたる)して、悉く河の上(ほとり)に集めさせる。唯(ただ)、陛下には哀を裁ち省察(考えてはっきりさせる)を。」と。太后は耿秉に示すを以てした。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

Trending Articles