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Channel: 倭人伝を解く
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三年北單于復

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三年北單于復為右校尉耿夔所破逃亡不知所在

三年(91)、北単于が復(また)、右校尉耿夔の破る所と為った。逃亡して在る所は知れず。

其弟右谷蠡王於除鞬自立為單于將右溫禺鞬王骨都侯已下眾數千人止蒲類海遣使款塞

其の弟の右谷蠡王於除鞬が自ら立って単于に為った。右溫禺鞬王、骨都侯以下衆数千人を将(ひきいる)して、蒲類海に止まり、使者を遣わして塞に款(いたる)した。

大將軍竇憲上書立於除鞬為北單于朝廷從之

大将軍竇憲は上書した、於除鞬を立てて北単于と為すと。朝廷はこれに従った。

四年遣耿夔即授璽綬賜玉劍四具羽蓋一駟使中郎將任尚持節衛護屯伊吾如南單于故事方欲輔歸北庭會竇憲被誅

四年(92)、耿夔を遣わし、即ち、璽綬を授け、玉剣四具、羽蓋一駟を賜り、中郎将任尚を使わし節を持って衛護し、伊吾に屯させ、南単于の故(以前)の事の如くにした。方(まさ)に北庭を輔帰せんと欲したとき、会(ちょうど)、竇憲が誅を被った。

五年於除鞬自畔還北帝遣將兵長史王輔以千餘騎與任尚共追誘將還斬之破滅其眾

五年(93)、於除鞬は自ら畔(そむく)して、北へ還った。帝は将兵長史王輔を遣わし、千余騎を以て、任尚と共に追いかけさせた。将還を誘い、これを斬り、その衆を破滅した。

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