單于屯屠何立六年薨單于宣弟安國立
単于屯屠何が立って六年で薨し、単于宣の弟の安国が立った。
單于安國永元五年立安國初為左賢王而無稱譽
単于安国は、永元五年(93)に立った。安国は初(以前)、左賢応と為ったが称誉(ほまれをあげる)することは無かった。
左谷蠡王師子素勇黠多知前單于宣及屯屠何皆愛其氣決故數遣將兵出塞掩擊北庭還受賞賜天子亦加殊異
左谷蠡王師子は素(もと)より勇黠(勇敢でかしこい)で、多知(知識が豊か)で、前単于宣、及び屯屠何は皆、その気決を愛(めでる)した。故(ゆえ)に数(たびたび)、将兵を遣わして塞に出でて、北庭を掩擊(不意打ちにする)させた。還って賞賜を授かり、天子も亦、殊異(すぐれている)を賀(よろこぶ 加=賀?)した。
是以國中盡敬師子而不附安國由是疾師子欲殺之
是(ここ)に国中を以て尽く師子を敬い、而して、安国に附かなかった。是れに由り、師子を疾(うらみ)し、之を殺そうと欲した。
其諸新降胡初在塞外數為師子所驅掠皆多怨之安國因是委計降者與同謀議
其の諸(もろもろ)の新降した胡は初め塞外に在った。数(たびたび)師子の駆掠する所と為って、皆、多くがこれを怨んでいた。安国は是れに因りて、計(はかりごと)を降者に委ね、謀議を与同(ともにする)した。
安國既立為單于師子以次轉為左賢王覺單于與新降者有謀乃別居五原界
安国が既に立ち単于と為ると、師子は次転を以て左賢王に為った。単于が新降者と謀(はかりごと)を有していることを覚(わかる)して、乃(そこで)、別れて五原界に居した。
單于每龍會議事師子輒稱病不往皇甫棱知之亦擁護不遣單于懷憤益甚
単于は毎(いつも)龍会して事を議したが、師子は輒(そのたびごとに)に、病と称して往かず。皇甫棱がこれを知り、亦、擁護して遣わさず。単于は憤りを懐くこと益々甚だしくなった。
単于屯屠何が立って六年で薨し、単于宣の弟の安国が立った。
單于安國永元五年立安國初為左賢王而無稱譽
単于安国は、永元五年(93)に立った。安国は初(以前)、左賢応と為ったが称誉(ほまれをあげる)することは無かった。
左谷蠡王師子素勇黠多知前單于宣及屯屠何皆愛其氣決故數遣將兵出塞掩擊北庭還受賞賜天子亦加殊異
左谷蠡王師子は素(もと)より勇黠(勇敢でかしこい)で、多知(知識が豊か)で、前単于宣、及び屯屠何は皆、その気決を愛(めでる)した。故(ゆえ)に数(たびたび)、将兵を遣わして塞に出でて、北庭を掩擊(不意打ちにする)させた。還って賞賜を授かり、天子も亦、殊異(すぐれている)を賀(よろこぶ 加=賀?)した。
是以國中盡敬師子而不附安國由是疾師子欲殺之
是(ここ)に国中を以て尽く師子を敬い、而して、安国に附かなかった。是れに由り、師子を疾(うらみ)し、之を殺そうと欲した。
其諸新降胡初在塞外數為師子所驅掠皆多怨之安國因是委計降者與同謀議
其の諸(もろもろ)の新降した胡は初め塞外に在った。数(たびたび)師子の駆掠する所と為って、皆、多くがこれを怨んでいた。安国は是れに因りて、計(はかりごと)を降者に委ね、謀議を与同(ともにする)した。
安國既立為單于師子以次轉為左賢王覺單于與新降者有謀乃別居五原界
安国が既に立ち単于と為ると、師子は次転を以て左賢王に為った。単于が新降者と謀(はかりごと)を有していることを覚(わかる)して、乃(そこで)、別れて五原界に居した。
單于每龍會議事師子輒稱病不往皇甫棱知之亦擁護不遣單于懷憤益甚
単于は毎(いつも)龍会して事を議したが、師子は輒(そのたびごとに)に、病と称して往かず。皇甫棱がこれを知り、亦、擁護して遣わさず。単于は憤りを懐くこと益々甚だしくなった。