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Channel: 倭人伝を解く
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單于師子立四年

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單于師子立四年薨單于長之子檀立

単于師子は立って四年で薨して、単于長の子の檀が立った。

萬氏尸逐鞮單于檀永元十年立十二年龐奮遷河南尹以朔方太守王彪行度遼將軍

万氏尸逐鞮単于檀は、永元十年(98)に立った。十二年(100)、龐奮は河南尹に遷り、朔方太守王彪を以て度遼将軍を行った。

南單于比歲遣兵擊逢侯多所虜獲收還生口前後以千數逢侯轉困迫

南単于は比歳(毎年)、兵を遣わして逢侯を撃った。虜獲する所が多く、生口を収還すること前後して千を以て数え、逢侯は困迫に転じた。

十六年北單于遣使詣闕貢獻願和親脩呼韓邪故約和帝以其舊禮不備未許之而厚加賞賜不荅其使

十六年(104)、北単于は使者を使わして闕に詣でさせ貢献した。和親、呼韓邪の故約を脩(おさめる)することを願った。和帝はその旧礼が不備なのを以て、未だこれを許(ききいれる)さず。而して、厚く賞賜を加え、その使いには荅(こたえる)さず。

元興元年重遣使詣敦煌貢獻辭以國貧未能備禮願請大使當遣子入侍

元興元年(105)、重ねて使者を遣わし敦煌に詣でさせ貢献した。辞は、国は貧しく未だ礼を備えることができないのを以て、願わくは、大使に請う、当に子を遣わして入侍させるべきを、と。

時太后臨朝亦不荅其使但加賜而已

時に太后が朝廷に臨んでおり、亦、その使いに荅(こたえる)さず、但(ただ)、賜りものを加えてそれ已(のみ)。

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