大將軍衛青者平陽人也
大将軍衛青という者は平陽の人である。
其父鄭季為吏給事平陽侯家與侯妾衛媼通生青
その父の鄭季は役人に為って、平陽侯の家で給事をし、平陽侯の妾(めかけ)の衛媼と通じ、青を生(う)んだ。
青同母兄衛長子而姊衛子夫自平陽公主家得幸天子故冒姓為衛氏
衛青の同母兄は衛長子で、そして姉は衛子夫で平陽公主(武帝劉徹の姉)の家から天子(漢孝武帝劉徹)に寵愛を得て、故(ゆえ)に衛氏をかたった。
字仲卿長子更字長君長君母號為衛媼
字(あざな)は仲卿で、衛長子は字(あざな)を長君と改めた。衛長君の母は衛媼と号した。
媼長女衛孺次女少兒次女即子夫
衛媼の長女は衛孺で、次の娘は衛少兒で、次の娘が衛子夫だった。
後子夫男弟步廣皆冒衛氏
後(のち)、衛子夫の弟の步、広も皆(みな)衛氏をかたった。
青為侯家人少時歸其父其父使牧羊
衛青は平陽公の家人と為り、少年時、その父のところに帰り、その父は羊(ひつじ)の放牧をさせた。
先母之子皆奴畜之不以為兄弟數
先(さき)の母の子どもたちは皆(みな)これを召使のように軽蔑してあつかい、兄弟として数えなかった。
青嘗從入至甘泉居室有一鉗徒相青曰
衛青は嘗(かつ)て従(したが)って入り甘泉の居室(居=据?罪人を繋いでおく部屋?)に至ったとき、一人の首かせをはめられている罪人がおり、衛青の人相(にんそう)を見て曰く、
貴人也官至封侯青笑曰
「貴人である。官は封侯に至るだろう」と。衛青は笑って曰く、
人奴之生得毋笞罵即足矣安得封侯事乎
「人の奴隷の生活が、笞(むち)うたれたり罵(ののし)られたりがなくなれば、すなわち足(た)りる。どうして封侯を得て仕(つか)えるだろうか」と。
大将軍衛青という者は平陽の人である。
其父鄭季為吏給事平陽侯家與侯妾衛媼通生青
その父の鄭季は役人に為って、平陽侯の家で給事をし、平陽侯の妾(めかけ)の衛媼と通じ、青を生(う)んだ。
青同母兄衛長子而姊衛子夫自平陽公主家得幸天子故冒姓為衛氏
衛青の同母兄は衛長子で、そして姉は衛子夫で平陽公主(武帝劉徹の姉)の家から天子(漢孝武帝劉徹)に寵愛を得て、故(ゆえ)に衛氏をかたった。
字仲卿長子更字長君長君母號為衛媼
字(あざな)は仲卿で、衛長子は字(あざな)を長君と改めた。衛長君の母は衛媼と号した。
媼長女衛孺次女少兒次女即子夫
衛媼の長女は衛孺で、次の娘は衛少兒で、次の娘が衛子夫だった。
後子夫男弟步廣皆冒衛氏
後(のち)、衛子夫の弟の步、広も皆(みな)衛氏をかたった。
青為侯家人少時歸其父其父使牧羊
衛青は平陽公の家人と為り、少年時、その父のところに帰り、その父は羊(ひつじ)の放牧をさせた。
先母之子皆奴畜之不以為兄弟數
先(さき)の母の子どもたちは皆(みな)これを召使のように軽蔑してあつかい、兄弟として数えなかった。
青嘗從入至甘泉居室有一鉗徒相青曰
衛青は嘗(かつ)て従(したが)って入り甘泉の居室(居=据?罪人を繋いでおく部屋?)に至ったとき、一人の首かせをはめられている罪人がおり、衛青の人相(にんそう)を見て曰く、
貴人也官至封侯青笑曰
「貴人である。官は封侯に至るだろう」と。衛青は笑って曰く、
人奴之生得毋笞罵即足矣安得封侯事乎
「人の奴隷の生活が、笞(むち)うたれたり罵(ののし)られたりがなくなれば、すなわち足(た)りる。どうして封侯を得て仕(つか)えるだろうか」と。