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Channel: 倭人伝を解く
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單于呼徵光和元年立

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單于呼徵光和元年立

単于呼徴は光和元年(178)に立った。

二年中郎將張脩與單于不相能脩擅斬之更立右賢王羌渠為單于脩以不先請而擅誅殺檻車徵詣廷尉抵罪

二年(179)、中郎将張脩は単于と相能(互いにたえしのぶ)せず、張脩は擅(かってに)之を斬った。更に右賢王羌渠を立てて単于と為した。張脩は先に請わずにして擅(かってに)誅殺したのを以て、檻車徴(檻車でよびよせられる)で廷尉に詣で、罪に抵(ふれる)した。

單于羌渠光和二年立

単于羌渠は光和二年(179)に立った。

中平四年前中山太守張純反畔遂率鮮卑寇邊郡靈帝詔發南匈奴兵配幽州牧劉虞討之

中平四年(187)、前中山太守張純が反畔し、遂に鮮卑を率いて辺郡を寇した。霊帝(在位168~189)は南匈奴兵を発して幽州牧劉虞に配し、之を討たせることを詔した。

單于遣左賢王將騎詣幽州國人恐單于發兵無已

単于は左賢王を遣わし、騎を将(ひきいる)させて幽州に詣でさせた。国人は単于が兵を発して已(終わる)せずを恐れた。

五年右部虾落與休著各胡白馬銅等十餘萬人反攻殺單于

五年(188)、右部虾落と休著各胡白馬銅ら十余万人が反し、単于を攻殺した。

單于羌渠立十年子右賢王於扶羅立

単于羌渠が立って十年、子の右賢王於扶羅が立った。

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