者關東五穀不登年歲未復民多窮困重之以邊境之事
このごろ、関東の五穀が登(のぼ)らず、年の穀物のでき具合が未(ま)だ復(ふく)さないうちに、
民の多くが困窮し、これに重(かさ)ねて辺境の事を以ってしています。
推數循理而觀之則民且有不安其處者矣不安故易動
さだめをおしはかり、理(り)に従いてこれを観(み)れば、民はまさにその処(ところ)に安んじない者を有するでしょう。安んじない故(ゆえ)に動き易(やす)くなります。
易動者土崩之勢也故賢主獨觀萬化之原明於安危之機
動き易(やす)いのは、土崩の勢(いきお)いであります。故(ゆえ)に賢主はただ万化の根本(こんぽん)を観(み)て、安危(あんき)のきざしを明らかにし、
修之廟堂之上而銷未形之患其要期使天下無土崩之勢而已矣
廟堂(びょうどう)の上にこれを修(おさ)め、しこうして、未(ま)だ形になっていないうちの患(うれ)いを消(け)すだけです。その要(かなめ)は、天下をして土崩の勢いを無くさしめることを期(き)すること、それのみであります。
故雖有彊國勁兵陛下逐走獸射蜚鳥弘游燕之囿
故(ゆえ)に強国の強い兵が有ると雖(いえど)も、獣(けもの)を追いかけ走り、飛ぶ鳥を射て、遊びくつろぐ庭園を広め、
淫縱恣之觀極馳騁之樂自若也金石絲竹之聲不絕於耳
思うままに観賞にふけり、馬を走らせることの楽しみを極(きわ)め、おちついていられます。金属、石、糸、竹製の楽器の音色(ねいろ)は耳に絶(た)えず聞こえ、
帷帳之私俳優侏儒之笑不乏於前而天下無宿憂名何必湯武俗何必成康
とばりの秘め事、俳優、小人(こびと)の笑いは御前に於いて乏(とぼ)しくなく、そして天下は長い間の憂(うれ)いはありません。名声はどうして殷湯王、周武王に固執(こしつ)し、俗はどうして周成王、周康王に固執(こしつ)しましょうか。
雖然臣竊以為陛下天然之聖仁之資而誠以天下為務
然(しか)りと雖(いえど)も、わたしはひそかに陛下の天然の聖(ひじり)、寛仁の資質(ししつ)を思い、しこうして、誠(まこと)に天下を以って務(つと)めを為せば、
則湯武之名不難而成康之俗可復興也此二體者立
すなわち、殷湯王、周武王の名声が等(ひと)しくなるに難(むずか)しくなく、そして、周成王、周康王の俗はまた興(おこ)すことができるのであります。この二つの形が立てば、
然後處尊安之實揚名廣譽於當世親天下而服四夷
然(しか)る後、尊(とうと)ばれ安(やす)んずるの実(じつ)をそなえ、当世に於いて名を揚(あ)げ誉(ほまれ)を広め、天下に親(した)しみて四夷を服属させ、
餘恩遺為數世隆南面負扆攝袂而揖王公此陛下之所服也
余(あま)した恩(おん)、遺(のこ)した徳(とく)は数世代の隆盛と為り、南面して 屏風(びょうぶ)を背にして、袂(たもと)をととのえ、王、公に揖(両手を胸の前で組み合わせておじぎすること)をさせ、これが陛下の従事(じゅうじ)するところであります。
臣聞圖王不成其敝足以安安則陛下何求而不得
わたしは聞きます、王になろうと考えて成(な)らなくとも、その少なくとも安んずるを以ってしたことに満足する、と。安んずれば、陛下はどうして求めて得られず、
何為而不成何征而不服乎哉嚴安上書曰
どうして為(な)して成(な)らず、どうして征(せい)して服(ふく)せないでしょうかな」と。
厳安が上書して曰く、
臣聞周有天下其治三百餘歲成康其隆也刑錯四十餘年而不用
「わたしは聞きます、周が天下を有(ゆう)し、その治世は三百余年、周成王、周康王がその隆盛(りゅうせい)であり、刑がすておかれること四十余年にして用いられませんでした。
及其衰也亦三百餘歲故五伯更起
その衰(おとろ)えるに及んでは、また三百余年、故(ゆえ)に五伯がこもごもに立ち上がりました。
五伯者常佐天子興利除害誅暴禁邪匡正海內以尊天子
五伯とは、常(つね)に(周の)天子を補佐して利(り)を興(おこ)し、害を除(のぞ)き、暴虐を誅(ちゅう)し、不正を禁じ、海内をただし、天子を尊(とうと)ぶを以ってしました。
五伯既賢聖莫續天子孤弱號令不行
五伯がすでに没(ぼっ)すると、賢聖が続かず、天子は親がなく年少で、号令しても行われませんでした。
諸侯恣行彊陵弱眾暴寡田常篡齊六卿分晉并為戰國此民之始苦也
諸侯は思うままに行い、強が弱を陵駕(りょうが)し、多が少を虐(しいた)げ、田常は斉を簒奪(さんだつ)して、六卿は晋を分割し、並びに戦国と為って、ここに民(たみ)の苦しみが始まったのであります。
於是彊國務攻弱國備守合從連馳車擊轂介胄生蟣蝨民無所告愬
ここに於いて強国は攻めに務(つと)め、弱国は守りに備(そな)え、合従、連横し、轂(こしき 車輪の軸を受けるまるい部分)をぶつけながら車を馳(は)せ、よろいかぶとは虱(しらみ)を生(しょう)じ、民(たみ)は胸のうちを明かして告げるところがありませんでした。
このごろ、関東の五穀が登(のぼ)らず、年の穀物のでき具合が未(ま)だ復(ふく)さないうちに、
民の多くが困窮し、これに重(かさ)ねて辺境の事を以ってしています。
推數循理而觀之則民且有不安其處者矣不安故易動
さだめをおしはかり、理(り)に従いてこれを観(み)れば、民はまさにその処(ところ)に安んじない者を有するでしょう。安んじない故(ゆえ)に動き易(やす)くなります。
易動者土崩之勢也故賢主獨觀萬化之原明於安危之機
動き易(やす)いのは、土崩の勢(いきお)いであります。故(ゆえ)に賢主はただ万化の根本(こんぽん)を観(み)て、安危(あんき)のきざしを明らかにし、
修之廟堂之上而銷未形之患其要期使天下無土崩之勢而已矣
廟堂(びょうどう)の上にこれを修(おさ)め、しこうして、未(ま)だ形になっていないうちの患(うれ)いを消(け)すだけです。その要(かなめ)は、天下をして土崩の勢いを無くさしめることを期(き)すること、それのみであります。
故雖有彊國勁兵陛下逐走獸射蜚鳥弘游燕之囿
故(ゆえ)に強国の強い兵が有ると雖(いえど)も、獣(けもの)を追いかけ走り、飛ぶ鳥を射て、遊びくつろぐ庭園を広め、
淫縱恣之觀極馳騁之樂自若也金石絲竹之聲不絕於耳
思うままに観賞にふけり、馬を走らせることの楽しみを極(きわ)め、おちついていられます。金属、石、糸、竹製の楽器の音色(ねいろ)は耳に絶(た)えず聞こえ、
帷帳之私俳優侏儒之笑不乏於前而天下無宿憂名何必湯武俗何必成康
とばりの秘め事、俳優、小人(こびと)の笑いは御前に於いて乏(とぼ)しくなく、そして天下は長い間の憂(うれ)いはありません。名声はどうして殷湯王、周武王に固執(こしつ)し、俗はどうして周成王、周康王に固執(こしつ)しましょうか。
雖然臣竊以為陛下天然之聖仁之資而誠以天下為務
然(しか)りと雖(いえど)も、わたしはひそかに陛下の天然の聖(ひじり)、寛仁の資質(ししつ)を思い、しこうして、誠(まこと)に天下を以って務(つと)めを為せば、
則湯武之名不難而成康之俗可復興也此二體者立
すなわち、殷湯王、周武王の名声が等(ひと)しくなるに難(むずか)しくなく、そして、周成王、周康王の俗はまた興(おこ)すことができるのであります。この二つの形が立てば、
然後處尊安之實揚名廣譽於當世親天下而服四夷
然(しか)る後、尊(とうと)ばれ安(やす)んずるの実(じつ)をそなえ、当世に於いて名を揚(あ)げ誉(ほまれ)を広め、天下に親(した)しみて四夷を服属させ、
餘恩遺為數世隆南面負扆攝袂而揖王公此陛下之所服也
余(あま)した恩(おん)、遺(のこ)した徳(とく)は数世代の隆盛と為り、南面して 屏風(びょうぶ)を背にして、袂(たもと)をととのえ、王、公に揖(両手を胸の前で組み合わせておじぎすること)をさせ、これが陛下の従事(じゅうじ)するところであります。
臣聞圖王不成其敝足以安安則陛下何求而不得
わたしは聞きます、王になろうと考えて成(な)らなくとも、その少なくとも安んずるを以ってしたことに満足する、と。安んずれば、陛下はどうして求めて得られず、
何為而不成何征而不服乎哉嚴安上書曰
どうして為(な)して成(な)らず、どうして征(せい)して服(ふく)せないでしょうかな」と。
厳安が上書して曰く、
臣聞周有天下其治三百餘歲成康其隆也刑錯四十餘年而不用
「わたしは聞きます、周が天下を有(ゆう)し、その治世は三百余年、周成王、周康王がその隆盛(りゅうせい)であり、刑がすておかれること四十余年にして用いられませんでした。
及其衰也亦三百餘歲故五伯更起
その衰(おとろ)えるに及んでは、また三百余年、故(ゆえ)に五伯がこもごもに立ち上がりました。
五伯者常佐天子興利除害誅暴禁邪匡正海內以尊天子
五伯とは、常(つね)に(周の)天子を補佐して利(り)を興(おこ)し、害を除(のぞ)き、暴虐を誅(ちゅう)し、不正を禁じ、海内をただし、天子を尊(とうと)ぶを以ってしました。
五伯既賢聖莫續天子孤弱號令不行
五伯がすでに没(ぼっ)すると、賢聖が続かず、天子は親がなく年少で、号令しても行われませんでした。
諸侯恣行彊陵弱眾暴寡田常篡齊六卿分晉并為戰國此民之始苦也
諸侯は思うままに行い、強が弱を陵駕(りょうが)し、多が少を虐(しいた)げ、田常は斉を簒奪(さんだつ)して、六卿は晋を分割し、並びに戦国と為って、ここに民(たみ)の苦しみが始まったのであります。
於是彊國務攻弱國備守合從連馳車擊轂介胄生蟣蝨民無所告愬
ここに於いて強国は攻めに務(つと)め、弱国は守りに備(そな)え、合従、連横し、轂(こしき 車輪の軸を受けるまるい部分)をぶつけながら車を馳(は)せ、よろいかぶとは虱(しらみ)を生(しょう)じ、民(たみ)は胸のうちを明かして告げるところがありませんでした。