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今外郡之地或幾千里

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今外郡之地或幾千里列城數十形束壤制旁脅諸侯非公室之利也

今、外郡の地の或(あ)るものはほとんと一千里(一里150m換算で約150km)で、城壁をならべつらねること数十、形勢はととのえられ、区域は制され、傍(かたわ)らは諸侯を脅(おびや)かし、
公室の利(り)では非(あら)ざるなり。

上觀齊晉之所以亡者公室卑削六卿大盛也

上は斉、晋の亡(ほろ)びるを以ってしたところの者を観(み)るに、公室はあなどられ削(けず)られ、六卿は大いに盛んになり、

下觀秦之所以滅者嚴法刻深欲大無窮也

下は秦の滅びるを以ってしたところのものを観るに、法を厳(おごそ)かにして深刻(しんこく)で、
欲するは大いに窮(きわ)まることがなかったのです。

今郡守之權非特六卿之重也地幾千里非特閭巷之資也

今、郡守の権力は、ただ六卿の重(おも)みだけではなく、領地はほとんど一千里(一里150m換算で約150km)で、ただ村里のよりどころだけではなく、

甲兵器械非特棘矜之用也以遭萬世之變則不可稱諱也

鎧(よろい)をつけた兵士、武器は、ただ棘(いばら)のほこを用いるだけではなく、万世に一度の変事に遭(あ)うを以ってすれば、すなわち忌(い)み名を称(とな)えることはできないでしょう」と。

書奏天子天子召見三人謂曰公等皆安在何相見之晚也

書状は天子(漢孝武帝劉徹)に奏上され、天子(漢孝武帝劉徹)は三人を召し寄せて見(まみ)え、曰く、「公らは皆(みな)いずこにいたのか?どうして互いに見(まみ)えることが晩(おそ)かったのだろうか」と。

於是上乃拜主父偃徐樂嚴安為郎中

ここに於いて、上(漢孝武帝劉徹)はそこで主父偃、徐楽、厳安に官をさずけて郎中と為さしめた。


偃數見上疏言事詔拜偃為謁者遷為中大夫一歲中四遷偃

漢郎中主父偃はたびたび見(まみ)え、事を言うを上書し、詔(みことのり)して、漢郎中主父偃に官をさずけて謁者と為さしめ、遷(うつ)して中大夫と為さしめた。一年のうちで四度、主父偃を遷(うつ)した。

偃說上曰古者諸侯不過百里彊弱之形易制

漢中大夫主父偃は上(漢孝武帝劉徹)に説(と)いて曰く、「むかしは、諸侯は百里(一里150m換算で約15km)を越(こ)えず、強弱の形勢は制(せい)することが容易(ようい)でした。

今諸侯或連城數十地方千里緩則驕奢易為淫亂急則阻其彊而合從以逆京師

今、諸侯の或(あ)るものは城壁を連(つら)ねること数十、地は方千里(一里150m換算で約150km四方)の面積で、緩(ゆる)めば、贅沢(ぜいたく)になって淫乱を為し易(やす)くなり、
さしせまれば、その強を阻(はば)んで、合従して京師(みやこ)に逆(さか)らうを以ってします。

今以法割削之則逆節萌起前日晁錯是也

今、法を以ってこれを割(さ)いて削(けず)れば、すなわち逆節(むほん心をいだくこと)がめばえ起こり、先日の晁錯(人名)がこれであります。

今諸侯子弟或十數而適嗣代立餘雖骨肉無尺寸地封則仁孝之道不宣

今、諸侯の子弟の或(あ)るものは十数人、しこうして後継ぎが代わって立ち、残りは骨肉と雖(いえど)も尺寸(せきすん)の地の封も無ければ、仁孝の道は延(の)べられません。

願陛下令諸侯得推恩分子弟以地侯之

願わくは、陛下には諸侯に令して、子弟に分けるに地を以ってこれを侯にして、恩(おん)を推(お)しすすめるを得さしめてください。

彼人人喜得所願上以施實分其國不削而稍弱矣

彼(か)の人々は願うところを得て喜び、上は徳を以って施(ほどこ)し、実(まこと)にその国を分ければ、削(けず)らなくてもだんだんと弱まるのです」と。

於是上從其計又說上曰茂陵初立天下豪桀并兼之家

ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)はその計に従った。また上(漢孝武帝劉徹)に説(と)いた、曰く、
「茂陵は立ったばかりで、天下の豪傑(ごうけつ)、豪族(ごうぞく)、

亂眾之民皆可徙茂陵內實京師

衆人を乱(みだ)す民は、皆(みな)茂陵に移(うつ)すべきで、内(うち)に京師(みやこ)を
満たし、

外銷姦猾此所謂不誅而害除上又從其計

外にずるがしこい者を減(へ)らし、これ、所謂(いわゆる)誅さずして害が除(のぞ)かれるのであります」と。上(漢孝武帝劉徹)はまたこの計に従った。

尊立衛皇后及發燕王定國陰事蓋偃有功焉

衛皇后を尊立し、燕王劉定国の陰事をあばくに及んで、おおかた漢中大夫主父偃に功が有った。

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