大臣皆畏其口賂遺累千金人或說偃曰太矣
大臣は皆(みな)その口(くち)を畏(おそ)れ、賄賂(わいろ)が贈られ千金を積み重ねた。人の或(あ)るものが漢中大夫主父偃に説(と)いて曰く、「はなはだよこしまである」と。
主父曰臣結發游學四十餘年身不得遂親不以為子
漢中大夫主父偃曰く、「わたしは髪を結んで遊学すること四十余年、身(み)みずからがなし遂(と)げられないとき、、親は子と思わず、
昆弟不收賓客棄我我阸日久矣且丈夫生不五鼎食死即五鼎烹耳
兄弟は受け入れず、賓客は我(われ)を棄(す)て、我(われ)は行きづまる日々が久(ひさ)しかった。まさに一人前の男子が生きて、五鼎(五つの鼎(かなえ)に牛、羊、豚、魚、大鹿を盛って神に供えること、転じて富貴の食事をいう)で食さなければ、死んですなわち五鼎で煮られるのみ。
吾日暮途遠故倒行暴施之
吾(われ)は残された時間が少ないのに、途(みち)は遠いので、故(ゆえ)に行(おこな)いをさかさまにしてやることが道理にはずれてしまったのだ」と。
偃盛言朔方地肥饒外阻河蒙恬城之以逐匈奴
漢中大夫主父偃は盛んに言った、朔方の地は肥沃(ひよく)で、外(そと)は河を阻(はば)み、蒙恬がこれに城を築いて匈奴を追い払うを以ってしましたが、
內省轉輸戍漕廣中國滅胡之本也
転輸、国境警備の水上運送を内省(ないせい)し、中国を広くして、胡(きょうど)の本(もと)を滅ぼすのです、と。
上覽其說下公卿議皆言不便
上(漢孝武帝劉徹)はその説を取りいれ、公卿に下(くだ)して議(ぎ)させたが、皆(みな)不便であると言った。
公孫弘曰秦時常發三十萬眾筑北河終不可就已而棄之
漢御史大夫公孫弘曰く、「秦の時、常(つね)に三十万の衆を発して北河を築き、とうとう成就できずに、しばらくしてこれを棄(す)てたのです」と。
主父偃盛言其便上竟用主父計立朔方郡
漢中大夫主父偃は盛んにその便を言った。上(漢孝武帝劉徹)はとうとう漢中大夫主父偃の計を用いて、朔方郡を立てた。
元朔二年主父言齊王內淫佚行僻上拜主父為齊相
元朔二年、漢中大夫主父偃は言った、斉王劉次昌はひそかに淫逸(いんいつ)で行いがよこしまである、と。上(漢孝武帝劉徹)は漢中大夫主父偃に官をさずけて斉相と為さしめた。
至齊遍召昆弟賓客散五百金予之數之曰
斉に至ると、遍(あまね)く、兄弟、賓客を招(まね)き、五百金を散じてこれに与(あた)え、これをしかり責めて曰く、
始吾貧時昆弟不我衣食賓客不我內門
「以前、吾(われ)が貧しかった時、兄弟は我(われ)に衣食をあたえず、賓客は我(われ)を門に入れず、
今吾相齊諸君迎我或千里吾與諸君絕矣毋復入偃之門
今、吾(われ)は斉で宰相になり、諸君は我(われ)を迎(むか)えに或るものは一千里(一里150m換算で約150km)を来たが吾(われ)は諸君と絶交し、ふたたびわたしの門に入ることなかれ」と。
乃使人以王與姊姦事動王王以為終不得脫罪
そこで、人をつかわし斉王劉次昌と姉の姦事を以って斉王劉次昌をふるえさせ、斉王劉次昌は終(しま)いまで罪を免(まぬか)れるを得ないと思い、
恐效燕王論死乃自殺有司以聞
燕王劉定国が死罪を論告されたことにならうことを恐れ、すなわち自殺した。役人は申し上げるを以ってした。
主父始為布衣時嘗游燕趙及其貴發燕事
斉相主父偃が以前、無位無官だった時、嘗(かつ)て燕、趙を巡(めぐ)ったことがあり、その地位が貴(たか)くなるに及んで、燕事をあばいた。
趙王恐其為國患欲上書言其陰事為偃居中不敢發
趙王劉彭祖はその国の患(うれ)いと為るを恐れ、上書してその陰事を言うことを欲したが、
主父偃が関中に居(い)るとして、敢(あ)えてあばかなかった。
及為齊相出關即使人上書告言主父偃受諸侯金以故諸侯子弟多以得封者
斉相に為って関を出るに及んで、そこで、人をして上書させ、主父偃は諸侯の金を受け取るに、以前、諸侯の子弟の多くが封を得るを以ってした者を以ってしたことを言って告げさせた。
及齊王自殺上聞大怒以為主父劫其王令自殺乃徵下吏治
斉王劉次昌が自殺するに及んで、上(漢孝武帝劉徹)は聞いて大いに怒(おこ)り、斉相主父偃がその王をおびやかして自殺せしめたと思い、そこで呼び寄せて役人の取調べに下(くだ)した。
主父服受諸侯金實不劫王令自殺
斉相主父偃は諸侯の金を受け取ったことみとめたが、斉王をおびやかして自殺せしめたのではないことは本当だとした。
上欲勿誅是時公孫弘為御史大夫乃言曰
上(漢孝武帝劉徹)は誅さないことを欲したが、この時公孫弘は御史大夫と為っており、すなわち言上して曰く、
齊王自殺無後國除為郡入漢主父偃本首惡
「斉王が自殺して後継が無く、国が除(のぞ)かれて郡に為り漢に入れられましたが、主父偃の本性は悪人の頭(かしら)であり、
陛下不誅主父偃無以謝天下乃遂族主父偃
陛下が主父偃を誅さなければ、天下に謝するを以ってすることが無くなります」と。そこで、遂(つい)に主父偃を族刑にした。
大臣は皆(みな)その口(くち)を畏(おそ)れ、賄賂(わいろ)が贈られ千金を積み重ねた。人の或(あ)るものが漢中大夫主父偃に説(と)いて曰く、「はなはだよこしまである」と。
主父曰臣結發游學四十餘年身不得遂親不以為子
漢中大夫主父偃曰く、「わたしは髪を結んで遊学すること四十余年、身(み)みずからがなし遂(と)げられないとき、、親は子と思わず、
昆弟不收賓客棄我我阸日久矣且丈夫生不五鼎食死即五鼎烹耳
兄弟は受け入れず、賓客は我(われ)を棄(す)て、我(われ)は行きづまる日々が久(ひさ)しかった。まさに一人前の男子が生きて、五鼎(五つの鼎(かなえ)に牛、羊、豚、魚、大鹿を盛って神に供えること、転じて富貴の食事をいう)で食さなければ、死んですなわち五鼎で煮られるのみ。
吾日暮途遠故倒行暴施之
吾(われ)は残された時間が少ないのに、途(みち)は遠いので、故(ゆえ)に行(おこな)いをさかさまにしてやることが道理にはずれてしまったのだ」と。
偃盛言朔方地肥饒外阻河蒙恬城之以逐匈奴
漢中大夫主父偃は盛んに言った、朔方の地は肥沃(ひよく)で、外(そと)は河を阻(はば)み、蒙恬がこれに城を築いて匈奴を追い払うを以ってしましたが、
內省轉輸戍漕廣中國滅胡之本也
転輸、国境警備の水上運送を内省(ないせい)し、中国を広くして、胡(きょうど)の本(もと)を滅ぼすのです、と。
上覽其說下公卿議皆言不便
上(漢孝武帝劉徹)はその説を取りいれ、公卿に下(くだ)して議(ぎ)させたが、皆(みな)不便であると言った。
公孫弘曰秦時常發三十萬眾筑北河終不可就已而棄之
漢御史大夫公孫弘曰く、「秦の時、常(つね)に三十万の衆を発して北河を築き、とうとう成就できずに、しばらくしてこれを棄(す)てたのです」と。
主父偃盛言其便上竟用主父計立朔方郡
漢中大夫主父偃は盛んにその便を言った。上(漢孝武帝劉徹)はとうとう漢中大夫主父偃の計を用いて、朔方郡を立てた。
元朔二年主父言齊王內淫佚行僻上拜主父為齊相
元朔二年、漢中大夫主父偃は言った、斉王劉次昌はひそかに淫逸(いんいつ)で行いがよこしまである、と。上(漢孝武帝劉徹)は漢中大夫主父偃に官をさずけて斉相と為さしめた。
至齊遍召昆弟賓客散五百金予之數之曰
斉に至ると、遍(あまね)く、兄弟、賓客を招(まね)き、五百金を散じてこれに与(あた)え、これをしかり責めて曰く、
始吾貧時昆弟不我衣食賓客不我內門
「以前、吾(われ)が貧しかった時、兄弟は我(われ)に衣食をあたえず、賓客は我(われ)を門に入れず、
今吾相齊諸君迎我或千里吾與諸君絕矣毋復入偃之門
今、吾(われ)は斉で宰相になり、諸君は我(われ)を迎(むか)えに或るものは一千里(一里150m換算で約150km)を来たが吾(われ)は諸君と絶交し、ふたたびわたしの門に入ることなかれ」と。
乃使人以王與姊姦事動王王以為終不得脫罪
そこで、人をつかわし斉王劉次昌と姉の姦事を以って斉王劉次昌をふるえさせ、斉王劉次昌は終(しま)いまで罪を免(まぬか)れるを得ないと思い、
恐效燕王論死乃自殺有司以聞
燕王劉定国が死罪を論告されたことにならうことを恐れ、すなわち自殺した。役人は申し上げるを以ってした。
主父始為布衣時嘗游燕趙及其貴發燕事
斉相主父偃が以前、無位無官だった時、嘗(かつ)て燕、趙を巡(めぐ)ったことがあり、その地位が貴(たか)くなるに及んで、燕事をあばいた。
趙王恐其為國患欲上書言其陰事為偃居中不敢發
趙王劉彭祖はその国の患(うれ)いと為るを恐れ、上書してその陰事を言うことを欲したが、
主父偃が関中に居(い)るとして、敢(あ)えてあばかなかった。
及為齊相出關即使人上書告言主父偃受諸侯金以故諸侯子弟多以得封者
斉相に為って関を出るに及んで、そこで、人をして上書させ、主父偃は諸侯の金を受け取るに、以前、諸侯の子弟の多くが封を得るを以ってした者を以ってしたことを言って告げさせた。
及齊王自殺上聞大怒以為主父劫其王令自殺乃徵下吏治
斉王劉次昌が自殺するに及んで、上(漢孝武帝劉徹)は聞いて大いに怒(おこ)り、斉相主父偃がその王をおびやかして自殺せしめたと思い、そこで呼び寄せて役人の取調べに下(くだ)した。
主父服受諸侯金實不劫王令自殺
斉相主父偃は諸侯の金を受け取ったことみとめたが、斉王をおびやかして自殺せしめたのではないことは本当だとした。
上欲勿誅是時公孫弘為御史大夫乃言曰
上(漢孝武帝劉徹)は誅さないことを欲したが、この時公孫弘は御史大夫と為っており、すなわち言上して曰く、
齊王自殺無後國除為郡入漢主父偃本首惡
「斉王が自殺して後継が無く、国が除(のぞ)かれて郡に為り漢に入れられましたが、主父偃の本性は悪人の頭(かしら)であり、
陛下不誅主父偃無以謝天下乃遂族主父偃
陛下が主父偃を誅さなければ、天下に謝するを以ってすることが無くなります」と。そこで、遂(つい)に主父偃を族刑にした。