漢王還定三秦渡臨晉魏王豹以國屬焉
漢王劉邦は還(かえ)って三秦を平定し、臨晋で(河を)渡(わた)った。(西)魏王魏豹は国を以って服属した。
遂從擊楚於彭城漢敗還至滎陽
遂(つい)に従(したが)って彭城(西楚の都)に於いて楚を撃(う)った。漢は敗(やぶ)れ、還(かえ)って栄陽(旧韓地)に至ると、
豹請歸視親病至國即絕河津畔漢
西魏王魏豹は親の病(やまい)を看病(かんびょう)しに帰ることを請(こ)うた。国に至ると、すぐに
河の船着場を絶(た)って漢に叛(そむ)いた。
漢王聞魏豹反東憂楚未及擊
漢王劉邦は西魏王魏豹が叛(そむ)いたことを聞き、まさに東に楚を憂(うれ)え、未(ま)だ撃(う)たないうちに、
謂酈生曰緩頰往說魏豹能下之
酈生(酈食其)に謂(い)った、曰く、「顔色をやわらげて往(ゆ)き西魏王魏豹を説(と)いて、これを下(くだ)すことができたら、
吾以萬戶封若酈生說豹
吾(われ)は一万戸を以ってなんじに封じよう」と。酈生(酈食其)は西魏王魏豹を説(と)いた。
豹謝曰人生一世如白駒過隙耳
西魏王魏豹は謝(しゃ)して曰く、「人生一世代の間(ま)は、若い白馬が隙間(すきま)を過(よ)ぎるが如(ごと)くのみ。
今漢王慢而侮人罵詈諸侯群臣如罵奴耳
今、漢王(劉邦)は得意(とくい)になって人を侮(あなど)り、諸侯、群臣をののしること、奴隷にどなるがごとくのみ。
非有上下禮節也吾不忍復見也
上下の礼節は有(ゆう)しておらず、吾はふたたび見(まみ)えることは我慢できないのである」と。
於是漢王遣韓信擊虜豹於河東傳詣滎陽
ここに於いて漢王劉邦は韓信を遣(つか)わして河東に於いて西魏王魏豹を撃(う)たせ虜(とりこ)にし、馬車を次(つ)いで栄陽(旧韓地)に行かせ、
以豹國為郡漢王令豹守滎陽
西魏王魏豹の国(河東の地)を以って郡と為した。漢王劉邦は西魏王魏豹に令(れい)して栄陽を守らせた。
楚圍之急周苛遂殺魏豹
楚はこれを急いで包囲すると、漢御史大夫周苛(栄陽を守っている仲間)が遂(つい)に魏豹を殺した。
漢王劉邦は還(かえ)って三秦を平定し、臨晋で(河を)渡(わた)った。(西)魏王魏豹は国を以って服属した。
遂從擊楚於彭城漢敗還至滎陽
遂(つい)に従(したが)って彭城(西楚の都)に於いて楚を撃(う)った。漢は敗(やぶ)れ、還(かえ)って栄陽(旧韓地)に至ると、
豹請歸視親病至國即絕河津畔漢
西魏王魏豹は親の病(やまい)を看病(かんびょう)しに帰ることを請(こ)うた。国に至ると、すぐに
河の船着場を絶(た)って漢に叛(そむ)いた。
漢王聞魏豹反東憂楚未及擊
漢王劉邦は西魏王魏豹が叛(そむ)いたことを聞き、まさに東に楚を憂(うれ)え、未(ま)だ撃(う)たないうちに、
謂酈生曰緩頰往說魏豹能下之
酈生(酈食其)に謂(い)った、曰く、「顔色をやわらげて往(ゆ)き西魏王魏豹を説(と)いて、これを下(くだ)すことができたら、
吾以萬戶封若酈生說豹
吾(われ)は一万戸を以ってなんじに封じよう」と。酈生(酈食其)は西魏王魏豹を説(と)いた。
豹謝曰人生一世如白駒過隙耳
西魏王魏豹は謝(しゃ)して曰く、「人生一世代の間(ま)は、若い白馬が隙間(すきま)を過(よ)ぎるが如(ごと)くのみ。
今漢王慢而侮人罵詈諸侯群臣如罵奴耳
今、漢王(劉邦)は得意(とくい)になって人を侮(あなど)り、諸侯、群臣をののしること、奴隷にどなるがごとくのみ。
非有上下禮節也吾不忍復見也
上下の礼節は有(ゆう)しておらず、吾はふたたび見(まみ)えることは我慢できないのである」と。
於是漢王遣韓信擊虜豹於河東傳詣滎陽
ここに於いて漢王劉邦は韓信を遣(つか)わして河東に於いて西魏王魏豹を撃(う)たせ虜(とりこ)にし、馬車を次(つ)いで栄陽(旧韓地)に行かせ、
以豹國為郡漢王令豹守滎陽
西魏王魏豹の国(河東の地)を以って郡と為した。漢王劉邦は西魏王魏豹に令(れい)して栄陽を守らせた。
楚圍之急周苛遂殺魏豹
楚はこれを急いで包囲すると、漢御史大夫周苛(栄陽を守っている仲間)が遂(つい)に魏豹を殺した。