於斯之時天下大說向風而聽
この時より、天下は大いによろこび、風に向って聴き、
隨流而化喟然興道而遷義
流れにしたがって教化し、喟然(きぜん)とため息をついて嘆息し、道を盛んにして、義にのぼり、
刑錯而不用隆乎三皇
刑がすておかれて用いられず、徳は三皇より厚く、
功羨於五帝若此故獵乃可喜也
功は五帝よりあふれ、このごとくすれば、もともと猟はすなわち喜ぶべきなのであります。
若夫終日暴露馳騁勞神苦形
それ、終日(しゅうじつ)風雨にさらされて狩りをして、気苦労してすがたを悪くして、
罷車馬之用抏士卒之精
車馬の用をきわまらせ、士卒の気力をすりへらし、
費府庫之財而無厚之恩
府庫の財を費(つい)やし、そして、徳厚の恩(おん)が無く、
務在獨樂不顧眾庶忘國家之政
ひとりの楽しみに在((あ)ることに務(つと)め、多くの民を顧(かえりみ)ず、国家の政治を忘(わす)れ、
而貪雉兔之獲則仁者不由也
そして雉(きじ)、兔(うさぎ)の捕獲を貪(むさぼ)れば、仁者はしたがいません。
從此觀之齊楚之事豈不哀哉
これよりこれを観(み)るに、斉、楚の事はどうして哀(かな)しまないでしょうかな。
地方不過千里而囿居九百
領地は一方が千里の面積(一里150m換算で約150平方km)を過ぎずして、囿は九百里(一里150m換算で約135平方km)あり、
是草木不得墾辟而民無所食也
ここに草木は荒地をきりひらいて耕地とせず、しこうして、民は食するところがありません。
夫以諸侯之細而樂萬乘之所侈
それ、諸侯の細小を以って、万乗(ばんじょう)のおごるところを楽しむは、
仆恐百姓之被其尤也
わたしは百姓がそのあやまちを被(こうむ)ることを恐れます』と。
於是二子愀然改容超若自失
ここに於いて二氏(子虚、烏有先生)は愀然(しゅうぜん)とはっとして顔色をかえ、態度を改(あらた)め、超若とがっかりしてみずからを失(うしな)い、
逡巡避席曰鄙人固陋
あとずさりして席をはずして曰く、『田舎者で見聞が狭(せま)くてかたくなで、
不知忌諱乃今日見教謹聞命矣
忌(い)み嫌(きら)うことをわきまえず、すなわち今日(きょう)教えられました。謹(つつし)んでいましめを聞き入れます』と。」
賦奏天子以為郎
賦(天子游猟賦)が奏(かな)でられ、天子(漢孝武帝劉徹)は(司馬相如を)郎(官名)と為すを以ってした。
無是公言天子上林廣大山谷水泉萬物
無是公は天子の上林が広大で、山谷、川泉、万物を言い、
乃子虛言楚雲夢所有甚眾侈靡過其實
すなわち、子虚は楚の雲夢の甚(はなは)だ多く有するところを言い、侈靡(しび)としてその実(じつ)を越(こ)えておごってみだりがましく、
且非義理所尚故刪取其要歸正道而論之
まさに義理の尊(とうと)ぶところでは非(あら)ず、故(ゆえ)にその要(かなめ)をけずり取って、正道に帰(かえ)して、これを論(ろん)じたのである。
この時より、天下は大いによろこび、風に向って聴き、
隨流而化喟然興道而遷義
流れにしたがって教化し、喟然(きぜん)とため息をついて嘆息し、道を盛んにして、義にのぼり、
刑錯而不用隆乎三皇
刑がすておかれて用いられず、徳は三皇より厚く、
功羨於五帝若此故獵乃可喜也
功は五帝よりあふれ、このごとくすれば、もともと猟はすなわち喜ぶべきなのであります。
若夫終日暴露馳騁勞神苦形
それ、終日(しゅうじつ)風雨にさらされて狩りをして、気苦労してすがたを悪くして、
罷車馬之用抏士卒之精
車馬の用をきわまらせ、士卒の気力をすりへらし、
費府庫之財而無厚之恩
府庫の財を費(つい)やし、そして、徳厚の恩(おん)が無く、
務在獨樂不顧眾庶忘國家之政
ひとりの楽しみに在((あ)ることに務(つと)め、多くの民を顧(かえりみ)ず、国家の政治を忘(わす)れ、
而貪雉兔之獲則仁者不由也
そして雉(きじ)、兔(うさぎ)の捕獲を貪(むさぼ)れば、仁者はしたがいません。
從此觀之齊楚之事豈不哀哉
これよりこれを観(み)るに、斉、楚の事はどうして哀(かな)しまないでしょうかな。
地方不過千里而囿居九百
領地は一方が千里の面積(一里150m換算で約150平方km)を過ぎずして、囿は九百里(一里150m換算で約135平方km)あり、
是草木不得墾辟而民無所食也
ここに草木は荒地をきりひらいて耕地とせず、しこうして、民は食するところがありません。
夫以諸侯之細而樂萬乘之所侈
それ、諸侯の細小を以って、万乗(ばんじょう)のおごるところを楽しむは、
仆恐百姓之被其尤也
わたしは百姓がそのあやまちを被(こうむ)ることを恐れます』と。
於是二子愀然改容超若自失
ここに於いて二氏(子虚、烏有先生)は愀然(しゅうぜん)とはっとして顔色をかえ、態度を改(あらた)め、超若とがっかりしてみずからを失(うしな)い、
逡巡避席曰鄙人固陋
あとずさりして席をはずして曰く、『田舎者で見聞が狭(せま)くてかたくなで、
不知忌諱乃今日見教謹聞命矣
忌(い)み嫌(きら)うことをわきまえず、すなわち今日(きょう)教えられました。謹(つつし)んでいましめを聞き入れます』と。」
賦奏天子以為郎
賦(天子游猟賦)が奏(かな)でられ、天子(漢孝武帝劉徹)は(司馬相如を)郎(官名)と為すを以ってした。
無是公言天子上林廣大山谷水泉萬物
無是公は天子の上林が広大で、山谷、川泉、万物を言い、
乃子虛言楚雲夢所有甚眾侈靡過其實
すなわち、子虚は楚の雲夢の甚(はなは)だ多く有するところを言い、侈靡(しび)としてその実(じつ)を越(こ)えておごってみだりがましく、
且非義理所尚故刪取其要歸正道而論之
まさに義理の尊(とうと)ぶところでは非(あら)ず、故(ゆえ)にその要(かなめ)をけずり取って、正道に帰(かえ)して、これを論(ろん)じたのである。