人之度量相越豈不遠哉
人の度量(どりょう)は相(あい)越(こ)えて、どうして遠くないだろうかな。
然此非獨行者之罪也父兄之教不先
然(しか)るにこれ、単に行く者の罪だけでは非(あら)ざるなり、父兄の教えが手引きせず、
子弟之率不謹也寡廉鮮恥而俗不長厚也
子弟のおおかたが謹(つつし)まないからである。潔(いさぎよ)さが少なく、恥(は)じる気持ちが少なくて、俗(ぞく)が篤厚(とくこう)を尊ばないからである。
其被刑戮不亦宜乎
その刑戮(けいりく)を被(こうむ)るもまたなんともっともではないだろうか。
陛下患使者有司之若彼悼不肖愚民之如此
陛下は使者、役人の彼(か)のごとくを患(うれ)え、不肖(ふしょう)、愚民(ぐみん)のこの如(ごと)くを悼(いた)み、
故遣信使曉喻百姓以發卒之事
故(ゆえ)に信用のある使者を遣(つか)わし百姓に教えさとさせるに、兵を発する事を以ってし、
因數之以不忠死亡之罪讓三老孝弟以不教誨之過
因(よ)りてこれを責(せ)めること不忠、死亡の罪を以ってし、三老(さんろう)や孝弟を責めしかるは、教えさとさなかった過(あやま)ちを以ってする。
方今田時重煩百姓已親見近縣
まさに今、耕作の時で、百姓を煩(わずら)わせることをおそれ、すでにみずから近い県に引見(いんけん)し、
恐遠所谿谷山澤之民不遍聞檄到亟下縣道
遠い所の渓谷、山沢の民が遍(あまね)く聞かないことを恐れ、ふれぶみが届いたらすみやかに県道に下(くだ)り、
使咸知陛下之意唯毋忽也
あまねく陛下の意(い)を知らしめ、唯(ただ)ゆるがせにすることなかれ」と。
相如還報唐蒙已略通夜郎
漢郎司馬相如は還(かえ)って報告した。漢中郎将唐蒙はすでに夜郎に略通し、
因通西南夷道發巴蜀廣漢卒作者數萬人
因(よ)りて西南夷の道を通じさせ、巴、蜀、広漢の兵を発し、(道を)作った者は数万人。
治道二歲道不成士卒多物故費以巨萬計
道を治(おさ)めて二年しても、道は完成せず、士卒の多くが死んで、費用は巨万を以って計上された。
蜀民及漢用事者多言其不便
蜀の民及び漢の事に用いられている者の多くがその不便を言った。
是時邛筰之君長聞南夷與漢通得賞賜多
この時、邛、筰の君長は、南夷と漢が通じ、褒美(ほうび)を得て賜わりものが多かったと聞き、
多欲願為內臣妾請吏比南夷
多くが内臣妾に為ることを願い、役人に請(こ)うて、南夷にならおうと欲した。
天子問相如相如曰邛筰冉駹者近蜀
天子(漢孝武帝劉徹)は漢郎司馬相如に問(と)うた、漢郎司馬相如曰く、「邛、筰、冉、駹とは蜀に近く、
道亦易通秦時嘗通為郡縣至漢興而罷
道もまた通(かよ)い易(やす)く、秦の時は嘗(かつ)て郡県として通じ、漢が興(おこ)るに至って中止しました。
今誠復通為置郡縣愈於南夷
今、誠(まこと)にふたたび通じれば、郡県を設置して、南夷よりまさるでしょう」と。
天子以為然乃拜相如為中郎將建節往使
天子(漢孝武帝劉徹)は然(しか)りと思い、そこで漢郎司馬相如に官をさずけて中郎将と為さしめ、旗を建てて使(つか)いに往(ゆ)かせた。
副使王然于壺充國呂越人馳四乘之傳因巴蜀吏幣物以賂西夷
副使は王然于、壺充國、呂越人で四頭立ての伝車を馳(は)せて、巴、蜀の役人に因りて贈り物が西夷に賂(まいない)されるを以ってした。
至蜀蜀太守以下郊迎縣令負弩矢先驅蜀人以為寵
蜀に至ると、蜀太守以下が町外れに迎(むか)え、県令が弩矢を背負って先駆けし、蜀人は栄誉と為すを以ってした。
於是卓王孫臨邛諸公皆因門下獻牛酒以交驩
ここに於いて卓王孫(蜀の臨邛の富豪 司馬相如の妻の父)、臨邛の諸(もろもろ)の公たちは皆(みな)門下に因(よ)りて牛酒を献(けん)じ、交わり親しむを以ってした。
卓王孫喟然而嘆自以得使女尚司馬長卿晚而厚分與其女財與男等同
卓王孫(蜀の臨邛の富豪 司馬相如の妻の父)は喟然(きぜん)とためいきをついて、自ら、娘をして司馬長卿(漢中郎将司馬相如)をとうとぶことができたのが晩(おそ)く、そして、厚くその娘に財を分け、息子たちと同じにしたことを嘆(なげ)いた。
司馬長卿便略定西夷邛筰冉駹斯榆之君皆請為內臣
司馬長卿(漢中郎将司馬相如)はすなわち西夷の邛、筰、冉、駹、斯榆の君を略定し、皆(みな)内臣に為ることを請(こ)うた。
除邊關關益斥西至沬若水南至牂柯為徼通零關道橋孫水以通邛都
辺境の関(せき)を除(のぞ)き、関(せき)はますます遠のけられ、西に沬水、若水に至り、南に牂柯に至って国境とし、零関道を通じ、孫水には橋(はし)をかけ、邛都に通じるを以ってした。
還報天子天子大說
還(かえ)って天子(漢孝武帝劉徹)に報告し、天子(漢孝武帝劉徹)は大いに悦(よろこ)んだ。
相如使時蜀長老多言通西南夷不為用唯大臣亦以為然
漢中郎将司馬相如が使(つか)いした時、蜀の長老の多くが西南夷と通じても用(よう)を為(な)さないと言い、大臣でさえも然(しか)りと思った。
人の度量(どりょう)は相(あい)越(こ)えて、どうして遠くないだろうかな。
然此非獨行者之罪也父兄之教不先
然(しか)るにこれ、単に行く者の罪だけでは非(あら)ざるなり、父兄の教えが手引きせず、
子弟之率不謹也寡廉鮮恥而俗不長厚也
子弟のおおかたが謹(つつし)まないからである。潔(いさぎよ)さが少なく、恥(は)じる気持ちが少なくて、俗(ぞく)が篤厚(とくこう)を尊ばないからである。
其被刑戮不亦宜乎
その刑戮(けいりく)を被(こうむ)るもまたなんともっともではないだろうか。
陛下患使者有司之若彼悼不肖愚民之如此
陛下は使者、役人の彼(か)のごとくを患(うれ)え、不肖(ふしょう)、愚民(ぐみん)のこの如(ごと)くを悼(いた)み、
故遣信使曉喻百姓以發卒之事
故(ゆえ)に信用のある使者を遣(つか)わし百姓に教えさとさせるに、兵を発する事を以ってし、
因數之以不忠死亡之罪讓三老孝弟以不教誨之過
因(よ)りてこれを責(せ)めること不忠、死亡の罪を以ってし、三老(さんろう)や孝弟を責めしかるは、教えさとさなかった過(あやま)ちを以ってする。
方今田時重煩百姓已親見近縣
まさに今、耕作の時で、百姓を煩(わずら)わせることをおそれ、すでにみずから近い県に引見(いんけん)し、
恐遠所谿谷山澤之民不遍聞檄到亟下縣道
遠い所の渓谷、山沢の民が遍(あまね)く聞かないことを恐れ、ふれぶみが届いたらすみやかに県道に下(くだ)り、
使咸知陛下之意唯毋忽也
あまねく陛下の意(い)を知らしめ、唯(ただ)ゆるがせにすることなかれ」と。
相如還報唐蒙已略通夜郎
漢郎司馬相如は還(かえ)って報告した。漢中郎将唐蒙はすでに夜郎に略通し、
因通西南夷道發巴蜀廣漢卒作者數萬人
因(よ)りて西南夷の道を通じさせ、巴、蜀、広漢の兵を発し、(道を)作った者は数万人。
治道二歲道不成士卒多物故費以巨萬計
道を治(おさ)めて二年しても、道は完成せず、士卒の多くが死んで、費用は巨万を以って計上された。
蜀民及漢用事者多言其不便
蜀の民及び漢の事に用いられている者の多くがその不便を言った。
是時邛筰之君長聞南夷與漢通得賞賜多
この時、邛、筰の君長は、南夷と漢が通じ、褒美(ほうび)を得て賜わりものが多かったと聞き、
多欲願為內臣妾請吏比南夷
多くが内臣妾に為ることを願い、役人に請(こ)うて、南夷にならおうと欲した。
天子問相如相如曰邛筰冉駹者近蜀
天子(漢孝武帝劉徹)は漢郎司馬相如に問(と)うた、漢郎司馬相如曰く、「邛、筰、冉、駹とは蜀に近く、
道亦易通秦時嘗通為郡縣至漢興而罷
道もまた通(かよ)い易(やす)く、秦の時は嘗(かつ)て郡県として通じ、漢が興(おこ)るに至って中止しました。
今誠復通為置郡縣愈於南夷
今、誠(まこと)にふたたび通じれば、郡県を設置して、南夷よりまさるでしょう」と。
天子以為然乃拜相如為中郎將建節往使
天子(漢孝武帝劉徹)は然(しか)りと思い、そこで漢郎司馬相如に官をさずけて中郎将と為さしめ、旗を建てて使(つか)いに往(ゆ)かせた。
副使王然于壺充國呂越人馳四乘之傳因巴蜀吏幣物以賂西夷
副使は王然于、壺充國、呂越人で四頭立ての伝車を馳(は)せて、巴、蜀の役人に因りて贈り物が西夷に賂(まいない)されるを以ってした。
至蜀蜀太守以下郊迎縣令負弩矢先驅蜀人以為寵
蜀に至ると、蜀太守以下が町外れに迎(むか)え、県令が弩矢を背負って先駆けし、蜀人は栄誉と為すを以ってした。
於是卓王孫臨邛諸公皆因門下獻牛酒以交驩
ここに於いて卓王孫(蜀の臨邛の富豪 司馬相如の妻の父)、臨邛の諸(もろもろ)の公たちは皆(みな)門下に因(よ)りて牛酒を献(けん)じ、交わり親しむを以ってした。
卓王孫喟然而嘆自以得使女尚司馬長卿晚而厚分與其女財與男等同
卓王孫(蜀の臨邛の富豪 司馬相如の妻の父)は喟然(きぜん)とためいきをついて、自ら、娘をして司馬長卿(漢中郎将司馬相如)をとうとぶことができたのが晩(おそ)く、そして、厚くその娘に財を分け、息子たちと同じにしたことを嘆(なげ)いた。
司馬長卿便略定西夷邛筰冉駹斯榆之君皆請為內臣
司馬長卿(漢中郎将司馬相如)はすなわち西夷の邛、筰、冉、駹、斯榆の君を略定し、皆(みな)内臣に為ることを請(こ)うた。
除邊關關益斥西至沬若水南至牂柯為徼通零關道橋孫水以通邛都
辺境の関(せき)を除(のぞ)き、関(せき)はますます遠のけられ、西に沬水、若水に至り、南に牂柯に至って国境とし、零関道を通じ、孫水には橋(はし)をかけ、邛都に通じるを以ってした。
還報天子天子大說
還(かえ)って天子(漢孝武帝劉徹)に報告し、天子(漢孝武帝劉徹)は大いに悦(よろこ)んだ。
相如使時蜀長老多言通西南夷不為用唯大臣亦以為然
漢中郎将司馬相如が使(つか)いした時、蜀の長老の多くが西南夷と通じても用(よう)を為(な)さないと言い、大臣でさえも然(しか)りと思った。