於是諸大夫芒然喪其所懷來而失厥所以進
ここに於いて諸(もろもろ)の大夫たちは芒然(ぼうぜん)とぼんやりして懐(いだ)いて来たところを忘(わす)れて、その進めるを以ってするところを失(うしな)い、
喟然并稱曰允哉漢此鄙人之所願聞也
喟然(きぜん)とため息をついてしりぞき、称(たた)えて曰く、『まことかな、漢の徳は。これ、田舎者の聞きたいと願っていたところである。
百姓雖怠請以身先之敞罔靡徙因遷延而辭避
百姓はつかれていると雖(いえど)も、身をもってこれをみちびくことを請(こ)う』と。ぼんやりと(敞罔=罔象?)活気がなくなり(靡徙=萎靡?)因(よ)りて遷延(せんえん)としりごみして、辞(じ)して去った」と。
其後人有上書言相如使時受金失官
その後、人に上書するものが有り、漢中郎将司馬相如が使(つか)いした時、金を受けたと言い、官を失(うしな)った。
居歲餘復召為郎
居ること一年余り、ふたたび召(め)されて郎に為った。
相如口吃而善著書常有消渴疾
漢郎司馬相如は口吃(こうきつ)にして、善(よ)く書を著(あらわ)した。常(つね)に消渴疾(病名)が有った。
與卓氏婚饒於財其進仕宦
卓氏と結婚し、財に於いて豊かになった。その官に進んで仕(つか)えるは、
未嘗肯與公卿國家之事稱病居不慕官爵
未(いま)だ嘗(かつ)て公卿と国家の事で承知したことがなく、病と称して隠居し、官爵をほしがらなかった。
常從上至長楊獵是時天子方好自擊熊彘
常(つね)に上(漢孝武帝劉徹)に従(したが)って、長楊に至り猟(りょう)をし、この時、天子(漢孝武帝劉徹)はまさに自(みずか)ら熊(くま)、いのこを撃(う)つことを好(この)み、
馳逐野獸相如上疏諫之其辭曰
野獣を追いかけて馳(は)せた。漢郎司馬相如は上書してこれを諌(いさ)めた。その辞(じ)曰く、
ここに於いて諸(もろもろ)の大夫たちは芒然(ぼうぜん)とぼんやりして懐(いだ)いて来たところを忘(わす)れて、その進めるを以ってするところを失(うしな)い、
喟然并稱曰允哉漢此鄙人之所願聞也
喟然(きぜん)とため息をついてしりぞき、称(たた)えて曰く、『まことかな、漢の徳は。これ、田舎者の聞きたいと願っていたところである。
百姓雖怠請以身先之敞罔靡徙因遷延而辭避
百姓はつかれていると雖(いえど)も、身をもってこれをみちびくことを請(こ)う』と。ぼんやりと(敞罔=罔象?)活気がなくなり(靡徙=萎靡?)因(よ)りて遷延(せんえん)としりごみして、辞(じ)して去った」と。
其後人有上書言相如使時受金失官
その後、人に上書するものが有り、漢中郎将司馬相如が使(つか)いした時、金を受けたと言い、官を失(うしな)った。
居歲餘復召為郎
居ること一年余り、ふたたび召(め)されて郎に為った。
相如口吃而善著書常有消渴疾
漢郎司馬相如は口吃(こうきつ)にして、善(よ)く書を著(あらわ)した。常(つね)に消渴疾(病名)が有った。
與卓氏婚饒於財其進仕宦
卓氏と結婚し、財に於いて豊かになった。その官に進んで仕(つか)えるは、
未嘗肯與公卿國家之事稱病居不慕官爵
未(いま)だ嘗(かつ)て公卿と国家の事で承知したことがなく、病と称して隠居し、官爵をほしがらなかった。
常從上至長楊獵是時天子方好自擊熊彘
常(つね)に上(漢孝武帝劉徹)に従(したが)って、長楊に至り猟(りょう)をし、この時、天子(漢孝武帝劉徹)はまさに自(みずか)ら熊(くま)、いのこを撃(う)つことを好(この)み、
馳逐野獸相如上疏諫之其辭曰
野獣を追いかけて馳(は)せた。漢郎司馬相如は上書してこれを諌(いさ)めた。その辞(じ)曰く、