蓋明者遠見於未萌而智者避危於無形
思うに明者は未(ま)だ芽(め)ばえないうちより遠くを見て、智者は形にならないうちより危険を避(さ)け、
禍固多藏於隱微而發於人之所忽者也
禍(わざわい)は固(もと)より多くが隠微(いんび かすかではっきりしない)としまわれておりて、人のいいかげんにするところのものより発するのである。
故鄙諺曰家累千金坐不垂堂
故(ゆえ)に田舎の諺(ことわざ)に曰く、『家が千金を累積(るいせき)したら、座(ざ)して堂のはしにしない(危険をおかさないという意)』と。
此言雖小可以喻大臣願陛下之留意幸察
この言(げん)は小さいと雖(いえど)も、大きく諭(さと)すを以ってすることができます。わたしは、陛下にはご留意、幸察くださることを願います」と。
上善之還過宜春宮
上(漢孝武帝劉徹)はこれを善(よ)しとした。還(かえ)って宜春宮に立ち寄り、
相如奏賦以哀二世行失也其辭曰
漢郎司馬相如は賦(ふ)を奏(かな)で、二世(秦二世皇帝)の行いの失敗を哀(かな)しむを以ってした。その辞曰く、
登陂阤之長阪兮坌入曾宮之嵯峨
「けわしい斜面の長い坂(さか)を登(のぼ)り、曾宮の嵯峨(山が高くけわしいさま)に入り集まり、
臨曲江之碕州兮望南山之參差
曲江(池の名)の湾曲している岸の中州(なかす)を臨(のぞ)み、南山の長短ふぞろいなさまを望(のぞ)み、
巖巖深山之谾谾兮通谷谹兮谽谺
巌巌(がんがん)と岩がかさなりあって高くけわしい深山(しんざん)の谾谾(こうこう)と深い谷の、
谷を通ってこだまするは、谽谺(かんか)として雄大で、
汨淢噏習以永逝兮注平皋之廣衍
汨(川名)は水が早く流れ噏習(きゅうしゅう)と勢いが盛んで、永逝(えいせい)と広く行くを以って、平皋の広く平らな土地に注(そそ)ぎ、
觀眾樹之塕薆兮覽竹林之榛榛
多くの樹木の塕薆(おうあい)と盛んなさまを観(み)て、竹林の榛榛(しんしん)と茂っているさまをご覧になる。
東馳土山兮北揭石
東に土山に馳(は)せ、北に石瀬に掲(かか)げ、
彌節容與兮歷弔二世
旗(はた)をあまねくして、容与(ようよ)と満足し、歴訪して秦二世皇帝を弔(とむら)う。
思うに明者は未(ま)だ芽(め)ばえないうちより遠くを見て、智者は形にならないうちより危険を避(さ)け、
禍固多藏於隱微而發於人之所忽者也
禍(わざわい)は固(もと)より多くが隠微(いんび かすかではっきりしない)としまわれておりて、人のいいかげんにするところのものより発するのである。
故鄙諺曰家累千金坐不垂堂
故(ゆえ)に田舎の諺(ことわざ)に曰く、『家が千金を累積(るいせき)したら、座(ざ)して堂のはしにしない(危険をおかさないという意)』と。
此言雖小可以喻大臣願陛下之留意幸察
この言(げん)は小さいと雖(いえど)も、大きく諭(さと)すを以ってすることができます。わたしは、陛下にはご留意、幸察くださることを願います」と。
上善之還過宜春宮
上(漢孝武帝劉徹)はこれを善(よ)しとした。還(かえ)って宜春宮に立ち寄り、
相如奏賦以哀二世行失也其辭曰
漢郎司馬相如は賦(ふ)を奏(かな)で、二世(秦二世皇帝)の行いの失敗を哀(かな)しむを以ってした。その辞曰く、
登陂阤之長阪兮坌入曾宮之嵯峨
「けわしい斜面の長い坂(さか)を登(のぼ)り、曾宮の嵯峨(山が高くけわしいさま)に入り集まり、
臨曲江之碕州兮望南山之參差
曲江(池の名)の湾曲している岸の中州(なかす)を臨(のぞ)み、南山の長短ふぞろいなさまを望(のぞ)み、
巖巖深山之谾谾兮通谷谹兮谽谺
巌巌(がんがん)と岩がかさなりあって高くけわしい深山(しんざん)の谾谾(こうこう)と深い谷の、
谷を通ってこだまするは、谽谺(かんか)として雄大で、
汨淢噏習以永逝兮注平皋之廣衍
汨(川名)は水が早く流れ噏習(きゅうしゅう)と勢いが盛んで、永逝(えいせい)と広く行くを以って、平皋の広く平らな土地に注(そそ)ぎ、
觀眾樹之塕薆兮覽竹林之榛榛
多くの樹木の塕薆(おうあい)と盛んなさまを観(み)て、竹林の榛榛(しんしん)と茂っているさまをご覧になる。
東馳土山兮北揭石
東に土山に馳(は)せ、北に石瀬に掲(かか)げ、
彌節容與兮歷弔二世
旗(はた)をあまねくして、容与(ようよ)と満足し、歴訪して秦二世皇帝を弔(とむら)う。