持身不謹兮亡國失埶
身をもちこたえて謹(つつし)まず、国を亡(ほろ)ぼし、勢(いきお)いを失(うしな)い、
信讒不寤兮宗廟滅絕嗚呼哀哉
讒言(ざんげん)を信じて悟(さと)らず、宗廟(そうびょう)は滅(ほろ)び絶えた。ああ、哀(かな)しいかな。
操行之不得兮墳墓蕪穢而不修兮
品行(ひんこう)の得られずは、墳墓(ふんぼ)は荒(あ)れて雑草が茂りて修(おさ)めず、
魂無歸而不食
魂(たましい)はおちつくところ無くして祭(まつ)られず、
夐邈絕而不齊兮彌久遠而愈佅
夐邈(けいばく)とはるか遠く絶(た)えて供(そな)えられずは、ますます長く久(ひさ)しくしていよいよ暗(くら)く(佅=眛?)、
精罔閬而飛揚兮拾九天而永逝嗚呼哀哉
白い網(あみ)は高くして舞い上がり、九天(大空)に拾(ひろ)われてとこしえに去(さ)る、ああ、哀(かな)しいかな」と。
相如拜為孝文園令天子既美子虛之事
漢郎司馬相如は官をさずかり、孝文園令と為った。天子(漢孝武帝劉徹)がすでに子虚の事をほめたたえ、
相如見上好僊道因曰上林之事未足美也
漢孝文園令司馬相如は上(漢孝武帝劉徹)が僊道(仙道)を好(この)むと見て、因(よ)りて曰く、
「上林の事は未(ま)だほめたたえられるには十分ではありません。
尚有靡者臣嘗為大人賦未就請具而奏之
尚(なお)美しいものがあります。わたしは嘗(かつ)て大人賦をつくり、未(ま)だできあがっておらず、具(つぶさ)にしてこれを奏(かな)でることを請(こ)う」と。
身をもちこたえて謹(つつし)まず、国を亡(ほろ)ぼし、勢(いきお)いを失(うしな)い、
信讒不寤兮宗廟滅絕嗚呼哀哉
讒言(ざんげん)を信じて悟(さと)らず、宗廟(そうびょう)は滅(ほろ)び絶えた。ああ、哀(かな)しいかな。
操行之不得兮墳墓蕪穢而不修兮
品行(ひんこう)の得られずは、墳墓(ふんぼ)は荒(あ)れて雑草が茂りて修(おさ)めず、
魂無歸而不食
魂(たましい)はおちつくところ無くして祭(まつ)られず、
夐邈絕而不齊兮彌久遠而愈佅
夐邈(けいばく)とはるか遠く絶(た)えて供(そな)えられずは、ますます長く久(ひさ)しくしていよいよ暗(くら)く(佅=眛?)、
精罔閬而飛揚兮拾九天而永逝嗚呼哀哉
白い網(あみ)は高くして舞い上がり、九天(大空)に拾(ひろ)われてとこしえに去(さ)る、ああ、哀(かな)しいかな」と。
相如拜為孝文園令天子既美子虛之事
漢郎司馬相如は官をさずかり、孝文園令と為った。天子(漢孝武帝劉徹)がすでに子虚の事をほめたたえ、
相如見上好僊道因曰上林之事未足美也
漢孝文園令司馬相如は上(漢孝武帝劉徹)が僊道(仙道)を好(この)むと見て、因(よ)りて曰く、
「上林の事は未(ま)だほめたたえられるには十分ではありません。
尚有靡者臣嘗為大人賦未就請具而奏之
尚(なお)美しいものがあります。わたしは嘗(かつ)て大人賦をつくり、未(ま)だできあがっておらず、具(つぶさ)にしてこれを奏(かな)でることを請(こ)う」と。