五三六經載籍之傳
五帝三王、六経は書籍に載(の)せられて伝わり、
維見可觀也
これ、今観(み)ることができるのである。
書曰元首明哉股肱良哉
書経曰く、『元首(げんしゅ 国にかしら)は賢明(けんめい)かな、股肱(ここう 家来)は良いかな』と。
因斯以談君莫盛於唐堯
これに因(よ)り、話すを以ってするに、君は唐堯(陶唐(国号)の堯帝公孫放)より盛んではなく、
臣莫賢於后稷
家臣は后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)より賢(かしこ)くはない。
后稷創業於唐
后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)は唐に於いて創業し、
公劉發跡於西戎
公劉(后稷の曾孫)は西戎に於いて跡(正しい道)を発し、
文王改制爰周郅隆
周文王姫昌が制度を改(あらた)め、ここにおいて周が隆盛(りゅうせい)し、
大行越成而後陵夷衰微
大行(たいこう)はここに成(な)り、しこうして後(のち)、陵夷(りょうい)とだんだんおとろえて衰微(すいび)し、
千載無聲豈不善始善終哉
千年して声は無くなり、どうして善く始まって善く終わらないのだろうかな。
五帝三王、六経は書籍に載(の)せられて伝わり、
維見可觀也
これ、今観(み)ることができるのである。
書曰元首明哉股肱良哉
書経曰く、『元首(げんしゅ 国にかしら)は賢明(けんめい)かな、股肱(ここう 家来)は良いかな』と。
因斯以談君莫盛於唐堯
これに因(よ)り、話すを以ってするに、君は唐堯(陶唐(国号)の堯帝公孫放)より盛んではなく、
臣莫賢於后稷
家臣は后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)より賢(かしこ)くはない。
后稷創業於唐
后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)は唐に於いて創業し、
公劉發跡於西戎
公劉(后稷の曾孫)は西戎に於いて跡(正しい道)を発し、
文王改制爰周郅隆
周文王姫昌が制度を改(あらた)め、ここにおいて周が隆盛(りゅうせい)し、
大行越成而後陵夷衰微
大行(たいこう)はここに成(な)り、しこうして後(のち)、陵夷(りょうい)とだんだんおとろえて衰微(すいび)し、
千載無聲豈不善始善終哉
千年して声は無くなり、どうして善く始まって善く終わらないのだろうかな。