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漢二年齊王田榮畔楚

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漢二年齊王田榮畔楚項王往擊齊

漢二年、斉王田栄は楚に叛(そむ)き、項王(西楚覇王項羽)は往(い)って斉を撃(う)とうとし、

徵兵九江九江王布稱病不往

兵を九江で徴集(ちょうしゅう)しようとしたが、九江王英布(黥布)は病(やまい)を称して往(ゆ)かず、

遣將將數千人行漢之敗楚彭城

将軍を遣(つか)わして数千人を率(ひき)いて行かせた。漢の楚の彭城で敗(やぶ)るに、

布又稱病不佐楚項王由此怨布

九江王英布(黥布)はまた病(やまい)を称して楚を補佐しなかった。項王(西楚覇王項羽)はこれに由(よ)り九江王英布(黥布)を怨(うら)んだ。

數使使者誚讓召布布愈恐不敢往

たびたび使者をつかわしとがめしからせ九江王英布(黥布)を召(め)し寄せさせた。九江王英布(黥布)は愈々(いよいよ)恐れ、敢(あ)えて往(ゆ)かなかった。

項王方北憂齊趙西患漢

項王(西楚覇王項羽)はまさに北に斉、趙を憂(うれ)え、西に漢を患(うれ)え、

所與者獨九江王又多布材

ともにするところの者は一人九江王英布(黥布)のみで、また九江王英布(黥布)の才能を多(た)とし、

欲親用之以故未擊

親しくこれを用いることを欲し、ことさらに未(ま)だ撃(う)たずを以ってした。

漢三年漢王擊楚大戰彭城

漢三年、漢王劉邦は楚を撃(う)ちに大いに彭城で戦ったが、

不利出梁地至虞謂左右曰

不利(ふり)で、梁の地を出て虞に至り、左右の者に謂(い)った、曰く、

如彼等者無足與計天下事

「彼らの如(ごと)くの者はともに天下の事を計(はか)るには足(た)らない」と。

謁者隨何進曰不審陛下所謂

漢謁者(官名)の隨何が進み出て曰く、「陛下(へいか)が謂(い)われるところを審(つまび)らかにしません」と。

漢王曰孰能為我使淮南

漢王劉邦曰く、「誰か我(わ)が為(ため)に淮南に使(つか)いできるだろうか。

令之發兵倍楚留項王於齊數月

これに兵を発して楚に叛(そむ)かせしめ、項王(西楚覇王項羽)を斉に於いて数ヶ月留(とど)めさせれば、

我之取天下可以百全隨何曰

我(われ)の天下を取るは百回を以ってしても全(すべ)てできるだろう」と。漢謁者隨何曰く、

臣請使之乃與二十人俱

「わたしは、これにつかわすことを請(こ)う」と。そこで二十人とともにつれだって、

使淮南至因太宰主之三日不得見

淮南につかわした。至ると、九江太宰(官名)がこれを迎(むか)え、三日間、(王に)見(まみ)えることを得ず。

隨何因說太宰曰王之不見何

漢謁者隨何は因(よ)りて九江太宰に説(と)いた、曰く、「王(九江王英布(黥布))のわたしに見(まみ)えずは、

必以楚為彊以漢為弱此臣之所以為使

きっと楚を以って強いと為し、漢を以って弱いと為しているからでしょう。これが、わたしの使者と為った理由です。

使何得見言之而是邪是大王所欲聞也

わたしをして見(まみ)えるを得さしめ、これを言って是(ぜ)とすれば、これ、大王(九江王英布(黥布))が聞き入れることを欲するところであります。

言之而非邪使何等二十人伏斧質淮南市

これを言って非(ひ)とすれば、わたしら二十人をして淮南の市で処刑台に伏(ふ)さしめ、

以明王倍漢而與楚也

王(九江王英布(黥布))が漢に背(そむ)いて楚とともにすることを明(あき)らかにするを以ってしてください」と。

太宰乃言之王王見之

九江太宰はそこでこれを九江王英布(黥布)に言い、九江王英布(黥布)はこれに見(まみ)えた。

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