隨何曰漢王使臣敬進書大王御者
漢謁隨何曰く、「漢王(劉邦)はわたしをつかわしてつつしんで書状を大王(九江王英布(黥布))御大に進めたのは、
竊怪大王與楚何親也淮南王曰
ひそかに大王(九江王英布(黥布)が、楚とどうして親しいのか不思議に思っていたからです」と。淮南王(九江王英布(黥布))曰く、
寡人北鄉而臣事之隨何曰
「わたしは北面してこれ(西楚覇王項羽)に家臣として仕(つか)えている」と。漢謁隨何曰く、
「大王與項王俱列為諸侯北鄉而臣事之
「大王(九江王英布(黥布))は、項王(西楚覇王項羽)とともに諸侯として列(れっ)し、北面してこれに臣事(しんじ)するは、
必以楚為彊可以託國也項王伐齊
きっと楚を以って強く、国を託(たく)すを以ってするべきだと思っているからでしょう。項王(西楚覇王項羽)は斉を討(う)ちに、
身負板筑以為士卒先
身(み)みずから板筑(へいに用いる板と土を打つきね)を背負(せお)い、士卒のてびきと為るを以ってし、
大王宜悉淮南之眾身自將之
大王(九江王英布(黥布))は宜(よろ)しく淮南の衆をありったけだして、身(み)みずからこれを率(ひき)い、
為楚軍前鋒今乃發四千人以助楚
楚軍の前鋒(さきがけ)と為るべきでしたが、今、すなわち四千人を発して楚を助けるを以ってしました。
夫北面而臣事人者固若是乎
それ、北面して人(ひと)に家臣として仕(つか)えるのは、固(もと)よりこのごとくでありましょうか。
夫漢王戰於彭城項王未出齊也
それ、漢王(劉邦)が彭城(西楚の都)に於いて戦うは、項王(西楚覇王項羽)が未(ま)だ斉を出ていなうちで、
大王宜騷淮南之兵渡淮日夜會戰彭城下
大王(九江王英布(黥布))は宜(よろ)しく淮南の兵を騒(さわ)がせて淮(川名)を渡らせ、日夜(にちや)彭城の下(もと)で会戦(かいせん)するべきでしたが、
大王撫萬人之眾無一人渡淮者
大王(九江王英布(黥布))は一万人の衆を撫(な)でやすんじ、一人として淮を渡る者が無かったのは、
垂拱而觀其孰勝夫託國於人者
腕組みしてなにもせずして、そのどちらが勝つかを観(み)たからでしょう。それ、国を人に託(たく)すのは、
固若是乎大王提空名以鄉楚而欲厚自託
固(もと)よりこのごとくでありましょうか。 大王(九江王英布(黥布))は空虚(きゅうきょ)な名目(めいもく)を提(さ)げて、楚に北面し、厚(あつ)く自ら託(たく)すことを欲するは、
臣竊為大王不取也
わたしはひそかに大王(九江王英布(黥布))の為に得策としないのであります。
然而大王不背楚者以漢為弱也
然(しか)しながら、大王(九江王英布(黥布)) が楚に背(そむ)かないのは、漢を以って弱いと思っているからでしょう。
夫楚兵雖彊天下負之以不義之名
それ、楚兵は強いと雖(いえど)も、天下がこれに不義の聞こえを以って負(お)わせたのは、
以其背盟約而殺義帝也
その盟約に背(そむ)き、そして楚義帝熊心を殺すを以ってしたからであります。
然而楚王恃戰勝自彊漢王收諸侯
然(しか)しながら、楚王(西楚覇王項羽)は戦勝にたのんで自らを強めましたが、漢王劉邦は諸侯を収(おさ)め、
還守成皋滎陽下蜀漢之粟
還(かえ)って成皋、栄陽を守るに、蜀、漢の粟(あわ)を下(お)ろし、
深溝壁壘分卒守徼乘塞楚人還兵
堀(ほり)、壁塁(へきるい とりで)を深くして、歩兵を分(わ)けて塞(とりで)の上に乗って
うかがい守らせました。楚人が兵を還(かえ)すは、
以梁地深入敵國八九百里
間(あいだ)に梁の地を以って、深く敵国(てきこく)に入るは八、九百里(一里150m換算で約120km~135km)で、
欲戰則不得攻城則力不能
戦うことを欲すれば、得られず、城邑を攻(せ)めれば、力は不能(ふのう)で、
老弱轉糧千里之外楚兵至滎陽成皋
老弱(老いた者、弱い者)が食糧を千里の外(そと)に運ばなければなりません。楚兵が栄陽、成皋に至ると、
漢堅守而不動進則不得攻退則不得解
漢は堅(かた)く守って動かず、進めば攻(せ)めるを得(え)ず、退(しりぞ)けば包囲を解(と)くを得(え)ず、
故曰楚兵不足恃也使楚勝漢
故(ゆえ)に曰く、楚兵はたのむに足りません、と。もし、楚が漢に勝てば、
則諸侯自危懼而相救夫楚之彊
すなわち諸侯は自(みずから)を危(あや)ぶみ懼(おそ)れて相(あい)救(すく)いあうでしょう。それ、楚の強は、
適足以致天下之兵耳故楚不如漢
天下の兵を招(まね)き寄せるを以ってして足(た)るに適(かな)うのであって、それのみであります。故(ゆえ)に楚が漢に及(およ)ばずは、
其勢易見也今大王不與萬全之漢而自託於危亡之楚
その情勢は予見(よけん)し易(やす)いです。今、大王(九江王英布(黥布))は万全(ばんぜん)の漢に与(くみ)せずして、自らを危亡の楚に託(たく)すのは、
臣竊為大王惑之臣非以淮南之兵足以亡楚也
わたしはひそかに大王(九江王英布(黥布))の為(ため)に惑(まど)うのです。わたしは淮南の兵が楚を亡(ほろ)ぼすを以ってするに足(た)ると思っているのではありません。
夫大王發兵而倍楚項王必留留數月
それ、大王(九江王英布(黥布))が兵を発して楚に背(そむ)けば、項王(西楚覇王項羽)は必ず(斉に)留(とど)まり、数ヶ月留(とど)まれば、
漢之取天下可以萬全臣請與大王提劍而歸漢
漢の天下を取るは万全(ばんぜん)を以ってすることができるでしょう。わたしは大王(九江王英布(黥布))が剣(つるぎ)を提(さ)げて漢に帰属するに関与することを請(こ)う。
漢王必裂地而封大王又況淮南
漢王劉邦は必ず地を裂(さ)いて大王(九江王英布(黥布))に封じ、また、況(いわん)や、淮南はなおのことであり、
淮南必大王有也故漢王敬使使臣進愚計
淮南は必ず大王(九江王英布(黥布))が有(ゆう)することでしょう。故(ゆえ)に漢王劉邦はつつしんで使者のわたしをつかわし愚計(ぐけい 謙遜の言葉)を進めたのです。
願大王之留意也淮南王曰
願わくは大王(九江王英布(黥布))には、御意に留(とど)めください」と。淮南王(九江王英布(黥布))曰く、
請奉命陰許畔楚與漢未敢泄也
「天命を奉(たてまつ)らせてください」と。ひそかに楚に叛(そむ)いて漢に与(くみ)することを聴きいれ、敢(あ)えて洩(も)らさなかった。
漢謁隨何曰く、「漢王(劉邦)はわたしをつかわしてつつしんで書状を大王(九江王英布(黥布))御大に進めたのは、
竊怪大王與楚何親也淮南王曰
ひそかに大王(九江王英布(黥布)が、楚とどうして親しいのか不思議に思っていたからです」と。淮南王(九江王英布(黥布))曰く、
寡人北鄉而臣事之隨何曰
「わたしは北面してこれ(西楚覇王項羽)に家臣として仕(つか)えている」と。漢謁隨何曰く、
「大王與項王俱列為諸侯北鄉而臣事之
「大王(九江王英布(黥布))は、項王(西楚覇王項羽)とともに諸侯として列(れっ)し、北面してこれに臣事(しんじ)するは、
必以楚為彊可以託國也項王伐齊
きっと楚を以って強く、国を託(たく)すを以ってするべきだと思っているからでしょう。項王(西楚覇王項羽)は斉を討(う)ちに、
身負板筑以為士卒先
身(み)みずから板筑(へいに用いる板と土を打つきね)を背負(せお)い、士卒のてびきと為るを以ってし、
大王宜悉淮南之眾身自將之
大王(九江王英布(黥布))は宜(よろ)しく淮南の衆をありったけだして、身(み)みずからこれを率(ひき)い、
為楚軍前鋒今乃發四千人以助楚
楚軍の前鋒(さきがけ)と為るべきでしたが、今、すなわち四千人を発して楚を助けるを以ってしました。
夫北面而臣事人者固若是乎
それ、北面して人(ひと)に家臣として仕(つか)えるのは、固(もと)よりこのごとくでありましょうか。
夫漢王戰於彭城項王未出齊也
それ、漢王(劉邦)が彭城(西楚の都)に於いて戦うは、項王(西楚覇王項羽)が未(ま)だ斉を出ていなうちで、
大王宜騷淮南之兵渡淮日夜會戰彭城下
大王(九江王英布(黥布))は宜(よろ)しく淮南の兵を騒(さわ)がせて淮(川名)を渡らせ、日夜(にちや)彭城の下(もと)で会戦(かいせん)するべきでしたが、
大王撫萬人之眾無一人渡淮者
大王(九江王英布(黥布))は一万人の衆を撫(な)でやすんじ、一人として淮を渡る者が無かったのは、
垂拱而觀其孰勝夫託國於人者
腕組みしてなにもせずして、そのどちらが勝つかを観(み)たからでしょう。それ、国を人に託(たく)すのは、
固若是乎大王提空名以鄉楚而欲厚自託
固(もと)よりこのごとくでありましょうか。 大王(九江王英布(黥布))は空虚(きゅうきょ)な名目(めいもく)を提(さ)げて、楚に北面し、厚(あつ)く自ら託(たく)すことを欲するは、
臣竊為大王不取也
わたしはひそかに大王(九江王英布(黥布))の為に得策としないのであります。
然而大王不背楚者以漢為弱也
然(しか)しながら、大王(九江王英布(黥布)) が楚に背(そむ)かないのは、漢を以って弱いと思っているからでしょう。
夫楚兵雖彊天下負之以不義之名
それ、楚兵は強いと雖(いえど)も、天下がこれに不義の聞こえを以って負(お)わせたのは、
以其背盟約而殺義帝也
その盟約に背(そむ)き、そして楚義帝熊心を殺すを以ってしたからであります。
然而楚王恃戰勝自彊漢王收諸侯
然(しか)しながら、楚王(西楚覇王項羽)は戦勝にたのんで自らを強めましたが、漢王劉邦は諸侯を収(おさ)め、
還守成皋滎陽下蜀漢之粟
還(かえ)って成皋、栄陽を守るに、蜀、漢の粟(あわ)を下(お)ろし、
深溝壁壘分卒守徼乘塞楚人還兵
堀(ほり)、壁塁(へきるい とりで)を深くして、歩兵を分(わ)けて塞(とりで)の上に乗って
うかがい守らせました。楚人が兵を還(かえ)すは、
以梁地深入敵國八九百里
間(あいだ)に梁の地を以って、深く敵国(てきこく)に入るは八、九百里(一里150m換算で約120km~135km)で、
欲戰則不得攻城則力不能
戦うことを欲すれば、得られず、城邑を攻(せ)めれば、力は不能(ふのう)で、
老弱轉糧千里之外楚兵至滎陽成皋
老弱(老いた者、弱い者)が食糧を千里の外(そと)に運ばなければなりません。楚兵が栄陽、成皋に至ると、
漢堅守而不動進則不得攻退則不得解
漢は堅(かた)く守って動かず、進めば攻(せ)めるを得(え)ず、退(しりぞ)けば包囲を解(と)くを得(え)ず、
故曰楚兵不足恃也使楚勝漢
故(ゆえ)に曰く、楚兵はたのむに足りません、と。もし、楚が漢に勝てば、
則諸侯自危懼而相救夫楚之彊
すなわち諸侯は自(みずから)を危(あや)ぶみ懼(おそ)れて相(あい)救(すく)いあうでしょう。それ、楚の強は、
適足以致天下之兵耳故楚不如漢
天下の兵を招(まね)き寄せるを以ってして足(た)るに適(かな)うのであって、それのみであります。故(ゆえ)に楚が漢に及(およ)ばずは、
其勢易見也今大王不與萬全之漢而自託於危亡之楚
その情勢は予見(よけん)し易(やす)いです。今、大王(九江王英布(黥布))は万全(ばんぜん)の漢に与(くみ)せずして、自らを危亡の楚に託(たく)すのは、
臣竊為大王惑之臣非以淮南之兵足以亡楚也
わたしはひそかに大王(九江王英布(黥布))の為(ため)に惑(まど)うのです。わたしは淮南の兵が楚を亡(ほろ)ぼすを以ってするに足(た)ると思っているのではありません。
夫大王發兵而倍楚項王必留留數月
それ、大王(九江王英布(黥布))が兵を発して楚に背(そむ)けば、項王(西楚覇王項羽)は必ず(斉に)留(とど)まり、数ヶ月留(とど)まれば、
漢之取天下可以萬全臣請與大王提劍而歸漢
漢の天下を取るは万全(ばんぜん)を以ってすることができるでしょう。わたしは大王(九江王英布(黥布))が剣(つるぎ)を提(さ)げて漢に帰属するに関与することを請(こ)う。
漢王必裂地而封大王又況淮南
漢王劉邦は必ず地を裂(さ)いて大王(九江王英布(黥布))に封じ、また、況(いわん)や、淮南はなおのことであり、
淮南必大王有也故漢王敬使使臣進愚計
淮南は必ず大王(九江王英布(黥布))が有(ゆう)することでしょう。故(ゆえ)に漢王劉邦はつつしんで使者のわたしをつかわし愚計(ぐけい 謙遜の言葉)を進めたのです。
願大王之留意也淮南王曰
願わくは大王(九江王英布(黥布))には、御意に留(とど)めください」と。淮南王(九江王英布(黥布))曰く、
請奉命陰許畔楚與漢未敢泄也
「天命を奉(たてまつ)らせてください」と。ひそかに楚に叛(そむ)いて漢に与(くみ)することを聴きいれ、敢(あ)えて洩(も)らさなかった。