項籍死天下定上置酒
西楚覇王項籍(項羽)が死に、天下は平定され、上(漢高帝劉邦)は酒宴を設けた。
上折隨何之功謂何為腐儒
上(漢高帝劉邦)は、漢謁者隨何の手柄(てがら)を判断し、彼は腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)だと思う、
為天下安用腐儒隨何跪曰
天下の為(ため)にどうして腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)を用いようか、と謂(い)った。漢謁者隨何は跪(ひざまず)いて曰く、
夫陛下引兵攻彭城楚王未去齊也
「それ、陛下が兵を引いて彭城(西楚の都)を攻(せ)めた時、楚王(項羽)は未(ま)だ斉を去(さ)っていないうちで、
陛下發步卒五萬人騎五千
陛下が歩兵五万人、騎兵五千人を発して、
能以取淮南乎上曰不能
淮南を取るを以ってすることができましたか?」と。上(漢王劉邦)曰く、「できなかった」と。
隨何曰陛下使何與二十人使淮南
漢謁者隨何曰く、「陛下はわたしと二十人をつかわし淮南に使(つか)いさせ、
至如陛下之意是何之功賢於步卒五萬人騎五千也
陛下の意(い)の如(ごと)くに至りました。これ、わたしの手柄(てがら)は、歩兵五万人、騎兵五千人よりもまさっているのであります。
然而陛下謂何腐儒為天下安用腐儒何也
然(しか)しながら、陛下はわたしが腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)で天下の為(ため)にどうして腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)を用いようかと謂(い)ったのは、どうしてですか?」と。
上曰吾方圖子之功
上(漢高帝劉邦)曰く、「吾(われ)はまさになんじの手柄(てがら)を図(はか)らんとしよう」と。
乃以隨何為護軍中尉布遂剖符為淮南王
すなわち、漢謁者隨何を以って護軍中尉と為した。九江王英布(黥布)は遂(つい)に剖符(ほうふ 臣下の任命や、爵位を与えるときなどの証拠として行う)され、淮南王と為った。
都六九江廬江衡山豫章郡皆屬布
六を都(みやこ)にして、九江、廬江、衡山、豫章郡は皆(みな)、淮南王英布(黥布)に属(ぞく)した。
七年朝陳八年朝雒陽九年朝長安
漢七年、陳に朝した。漢八年、雒陽に朝した。漢九年、長安に朝した。
十一年高后誅淮陰侯布因心恐
漢十一年、漢高后(劉邦の后)が淮陰侯韓信を誅(ちゅう)し、淮南王英布(黥布)は因(よ)りて心から恐(おそ)れた。
夏漢誅梁王彭越醢之盛其醢遍賜諸侯
漢十一年夏、漢は梁王彭越を誅(ちゅう)して、これをひしおにして、そのひしおを神前の供え物として遍(あまね)く諸侯に賜(たま)わった。
至淮南淮南王方獵見醢因大恐
(ひしおが)淮南に至り、淮南王英布(黥布)はまさに猟(りょう)をしているときで、ひしおを見て、因(よ)りて大いに恐れ、
陰令人部聚兵候伺旁郡警急
ひそかに人に令(れい)して 兵を集めて区分させ、傍(かたわ)らの郡をうかがわせ、急な変事に備(そな)えさせた。
西楚覇王項籍(項羽)が死に、天下は平定され、上(漢高帝劉邦)は酒宴を設けた。
上折隨何之功謂何為腐儒
上(漢高帝劉邦)は、漢謁者隨何の手柄(てがら)を判断し、彼は腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)だと思う、
為天下安用腐儒隨何跪曰
天下の為(ため)にどうして腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)を用いようか、と謂(い)った。漢謁者隨何は跪(ひざまず)いて曰く、
夫陛下引兵攻彭城楚王未去齊也
「それ、陛下が兵を引いて彭城(西楚の都)を攻(せ)めた時、楚王(項羽)は未(ま)だ斉を去(さ)っていないうちで、
陛下發步卒五萬人騎五千
陛下が歩兵五万人、騎兵五千人を発して、
能以取淮南乎上曰不能
淮南を取るを以ってすることができましたか?」と。上(漢王劉邦)曰く、「できなかった」と。
隨何曰陛下使何與二十人使淮南
漢謁者隨何曰く、「陛下はわたしと二十人をつかわし淮南に使(つか)いさせ、
至如陛下之意是何之功賢於步卒五萬人騎五千也
陛下の意(い)の如(ごと)くに至りました。これ、わたしの手柄(てがら)は、歩兵五万人、騎兵五千人よりもまさっているのであります。
然而陛下謂何腐儒為天下安用腐儒何也
然(しか)しながら、陛下はわたしが腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)で天下の為(ため)にどうして腐(くさ)れ儒者(じゅしゃ)を用いようかと謂(い)ったのは、どうしてですか?」と。
上曰吾方圖子之功
上(漢高帝劉邦)曰く、「吾(われ)はまさになんじの手柄(てがら)を図(はか)らんとしよう」と。
乃以隨何為護軍中尉布遂剖符為淮南王
すなわち、漢謁者隨何を以って護軍中尉と為した。九江王英布(黥布)は遂(つい)に剖符(ほうふ 臣下の任命や、爵位を与えるときなどの証拠として行う)され、淮南王と為った。
都六九江廬江衡山豫章郡皆屬布
六を都(みやこ)にして、九江、廬江、衡山、豫章郡は皆(みな)、淮南王英布(黥布)に属(ぞく)した。
七年朝陳八年朝雒陽九年朝長安
漢七年、陳に朝した。漢八年、雒陽に朝した。漢九年、長安に朝した。
十一年高后誅淮陰侯布因心恐
漢十一年、漢高后(劉邦の后)が淮陰侯韓信を誅(ちゅう)し、淮南王英布(黥布)は因(よ)りて心から恐(おそ)れた。
夏漢誅梁王彭越醢之盛其醢遍賜諸侯
漢十一年夏、漢は梁王彭越を誅(ちゅう)して、これをひしおにして、そのひしおを神前の供え物として遍(あまね)く諸侯に賜(たま)わった。
至淮南淮南王方獵見醢因大恐
(ひしおが)淮南に至り、淮南王英布(黥布)はまさに猟(りょう)をしているときで、ひしおを見て、因(よ)りて大いに恐れ、
陰令人部聚兵候伺旁郡警急
ひそかに人に令(れい)して 兵を集めて区分させ、傍(かたわ)らの郡をうかがわせ、急な変事に備(そな)えさせた。