淮南王布見赫以罪亡上變
淮南王英布(黥布)は淮南中大夫賁赫が罪を以って逃げたのをまのあたりにして、変事を申し上げ
固已疑其言國陰事漢使又來
いうまでもなくすでにその国の陰事を言ったと疑(うたが)っていた。漢使者がまた来て、
頗有所驗遂族赫家發兵反
頗(すこぶ)る調べるところ有り、遂(つい)に淮南中大夫賁赫の家を族刑にし、兵を発して叛(そむ)いた。
反書聞上乃赦賁赫以為將軍
報告書が申しあげられ、上(漢皇帝劉邦)はそこで淮南中大夫賁赫を赦(ゆる)し、漢将軍と為すを以ってした。
上召諸將問曰布反為之柰何
上(漢高帝劉邦)は諸(もろもろ)の将軍を召(め)しよせて問(と)うた、曰く、「英布(黥布)が叛(そむ)いたが、この為(ため)にどうしたらよいだろうか?」と。
皆曰發兵擊之阬豎子耳
皆(みな)曰く、「兵を発してこれを撃(う)ち、小僧(こぞう)を穴埋めにするのみ。
何能為乎汝陰侯滕公召故楚令尹問之
何を為すことができようか」と。汝陰侯滕公は以前の楚の令尹(官名)を召し寄せこれを問(と)うた。
令尹曰是故當反滕公曰
元楚令尹曰く、「これはきっと謀反(むほん)に当たるでしょう」と。 汝陰侯滕公曰く、
上裂地而王之疏爵而貴之南面而
「上(漢高帝劉邦)は地を裂(さ)いてこれを爵位を分けて王にし、これを南面させて貴(とうと)ばせて、
立萬乘之主其反何也
万乗の主(あるじ)に立てたのに、その叛(そむ)くはどうしてなのだろうか?」と。
令尹曰往年殺彭越前年殺韓信
元楚令尹曰く、「先年に梁王彭越を殺し、前年に淮陰侯韓信を殺し、
此三人者同功一體之人也
この三人の者は、同じ手柄、同類の人であり、
自疑禍及身故反耳
自(みずか)ら禍(わざわい)が身(み)に及ぶことを疑(うたが)い、故(ゆえ)に叛(そむ)いただけです。
滕公言之上曰臣客故楚令尹薛公者
汝陰侯滕公はこれを上(漢高帝劉邦)に言った、曰く、「わたしは元楚令尹の薛公という者を食客にしており
其人有籌筴之計可問上乃召見問薛公
その人は画策(かくさく)の計を有(ゆう)し、問(と)うべきです」と。上(漢高帝劉邦)はそこで元楚令尹の薛公を召して見(まみ)え問(と)うた。
薛公對曰布反不足怪也使布出於上計
元楚令尹の薛公は応(こた)えて曰く、「英布の謀反(むほん)は怪(あや)しむに足りません。もし英布が上計を出すとすれば、
山東非漢之有也出於中計
山東は漢の所有ではなくなります。もし中計を出すとすれば、
勝敗之數未可知也出於下計
勝敗(しょうはい)の道理はまだ知ることができません。もし下計を出すとすれば
陛下安枕而臥矣上曰何謂上計
陛下(へいか)は枕(まくら)して横になるを安(やす)んずるでしょう」と。上(漢高帝劉邦)曰く、「上計とはどういうことか?」と。
令尹對曰東取吳西取楚
元楚令尹薛公は応えて曰く、「東に呉を取り、西に楚を取り、
并齊取魯傳檄燕趙固守其所
斉を併せて魯を取り、燕、趙にふれぶみを伝え、固くその所を守らせれば、
山東非漢之有也何謂中計
山東は漢の所有ではなくなるのです」と。「中計とはどういうことか?」と。
東取吳西取楚并韓取魏據敖庾之粟
「東に呉を取り、西に楚を取り、韓を併せて魏を取り、敖庾の粟(あわ)に拠(よ)り、
塞成皋之口勝敗之數未可知也
成皋(地名)の口(くち)を塞(ふさ)ぎ、勝敗(しょうはい)の道理はまだ知ることができません。
何謂下計東取吳西取下蔡
「下計とはどういうことか?」と。「東に呉を取り、西に下蔡を取り、
歸重於越身歸長沙陛下安枕而臥
越(えつ)を重(おも)んじて帰属し 身(み)みずから長沙に帰属すれば、 陛下は枕(まくら)して横になるを安(やす)んじ、
漢無事矣上曰是計將安出
漢は無事(ぶじ)です」と。上(漢高帝劉邦)曰く、「ここに計はまさにいずこを出さんとするのか?」と。
令尹對曰出下計上曰
元楚令尹薛公は応(こた)えて曰く、「下計を出すでしょう」と。上(漢高帝劉邦)曰く、
何謂廢上中計而出下計令尹曰
「上、中の計を廃(はい)して下計を出すはどういうことか?」と。元楚令尹薛公曰く、
布故麗山之徒也自致萬乘之主此皆為身
「英布(黥布)は以前は麗山の徒刑者でしたが、自ら万乗(ばんじょう)の主(あるじ)を極(きわ)めました。これ、皆(みな)自身の為(ため)で、
不顧後為百姓萬世慮者也故曰出下計
後(のち)を顧(かえり)みて 百姓、万世(ばんせい)の為(ため)に慮(おもんばか)ることをしない者でありますから、故(ゆえ)に下計を出すといったのです」と。
上曰善封薛公千戶
上(漢高帝劉邦)曰く、「よろしい」と。元楚令尹薛公に一千戸を封じた。
乃立皇子長為淮南王上遂發兵自將東擊布
そこで皇帝の子の劉長を立てて淮南王と為すことにし、上(漢高帝劉邦)は遂(つい)に兵を発して自(みずか)ら率(ひき)いて東に淮南王英布(黥布)を撃った。
淮南王英布(黥布)は淮南中大夫賁赫が罪を以って逃げたのをまのあたりにして、変事を申し上げ
固已疑其言國陰事漢使又來
いうまでもなくすでにその国の陰事を言ったと疑(うたが)っていた。漢使者がまた来て、
頗有所驗遂族赫家發兵反
頗(すこぶ)る調べるところ有り、遂(つい)に淮南中大夫賁赫の家を族刑にし、兵を発して叛(そむ)いた。
反書聞上乃赦賁赫以為將軍
報告書が申しあげられ、上(漢皇帝劉邦)はそこで淮南中大夫賁赫を赦(ゆる)し、漢将軍と為すを以ってした。
上召諸將問曰布反為之柰何
上(漢高帝劉邦)は諸(もろもろ)の将軍を召(め)しよせて問(と)うた、曰く、「英布(黥布)が叛(そむ)いたが、この為(ため)にどうしたらよいだろうか?」と。
皆曰發兵擊之阬豎子耳
皆(みな)曰く、「兵を発してこれを撃(う)ち、小僧(こぞう)を穴埋めにするのみ。
何能為乎汝陰侯滕公召故楚令尹問之
何を為すことができようか」と。汝陰侯滕公は以前の楚の令尹(官名)を召し寄せこれを問(と)うた。
令尹曰是故當反滕公曰
元楚令尹曰く、「これはきっと謀反(むほん)に当たるでしょう」と。 汝陰侯滕公曰く、
上裂地而王之疏爵而貴之南面而
「上(漢高帝劉邦)は地を裂(さ)いてこれを爵位を分けて王にし、これを南面させて貴(とうと)ばせて、
立萬乘之主其反何也
万乗の主(あるじ)に立てたのに、その叛(そむ)くはどうしてなのだろうか?」と。
令尹曰往年殺彭越前年殺韓信
元楚令尹曰く、「先年に梁王彭越を殺し、前年に淮陰侯韓信を殺し、
此三人者同功一體之人也
この三人の者は、同じ手柄、同類の人であり、
自疑禍及身故反耳
自(みずか)ら禍(わざわい)が身(み)に及ぶことを疑(うたが)い、故(ゆえ)に叛(そむ)いただけです。
滕公言之上曰臣客故楚令尹薛公者
汝陰侯滕公はこれを上(漢高帝劉邦)に言った、曰く、「わたしは元楚令尹の薛公という者を食客にしており
其人有籌筴之計可問上乃召見問薛公
その人は画策(かくさく)の計を有(ゆう)し、問(と)うべきです」と。上(漢高帝劉邦)はそこで元楚令尹の薛公を召して見(まみ)え問(と)うた。
薛公對曰布反不足怪也使布出於上計
元楚令尹の薛公は応(こた)えて曰く、「英布の謀反(むほん)は怪(あや)しむに足りません。もし英布が上計を出すとすれば、
山東非漢之有也出於中計
山東は漢の所有ではなくなります。もし中計を出すとすれば、
勝敗之數未可知也出於下計
勝敗(しょうはい)の道理はまだ知ることができません。もし下計を出すとすれば
陛下安枕而臥矣上曰何謂上計
陛下(へいか)は枕(まくら)して横になるを安(やす)んずるでしょう」と。上(漢高帝劉邦)曰く、「上計とはどういうことか?」と。
令尹對曰東取吳西取楚
元楚令尹薛公は応えて曰く、「東に呉を取り、西に楚を取り、
并齊取魯傳檄燕趙固守其所
斉を併せて魯を取り、燕、趙にふれぶみを伝え、固くその所を守らせれば、
山東非漢之有也何謂中計
山東は漢の所有ではなくなるのです」と。「中計とはどういうことか?」と。
東取吳西取楚并韓取魏據敖庾之粟
「東に呉を取り、西に楚を取り、韓を併せて魏を取り、敖庾の粟(あわ)に拠(よ)り、
塞成皋之口勝敗之數未可知也
成皋(地名)の口(くち)を塞(ふさ)ぎ、勝敗(しょうはい)の道理はまだ知ることができません。
何謂下計東取吳西取下蔡
「下計とはどういうことか?」と。「東に呉を取り、西に下蔡を取り、
歸重於越身歸長沙陛下安枕而臥
越(えつ)を重(おも)んじて帰属し 身(み)みずから長沙に帰属すれば、 陛下は枕(まくら)して横になるを安(やす)んじ、
漢無事矣上曰是計將安出
漢は無事(ぶじ)です」と。上(漢高帝劉邦)曰く、「ここに計はまさにいずこを出さんとするのか?」と。
令尹對曰出下計上曰
元楚令尹薛公は応(こた)えて曰く、「下計を出すでしょう」と。上(漢高帝劉邦)曰く、
何謂廢上中計而出下計令尹曰
「上、中の計を廃(はい)して下計を出すはどういうことか?」と。元楚令尹薛公曰く、
布故麗山之徒也自致萬乘之主此皆為身
「英布(黥布)は以前は麗山の徒刑者でしたが、自ら万乗(ばんじょう)の主(あるじ)を極(きわ)めました。これ、皆(みな)自身の為(ため)で、
不顧後為百姓萬世慮者也故曰出下計
後(のち)を顧(かえり)みて 百姓、万世(ばんせい)の為(ため)に慮(おもんばか)ることをしない者でありますから、故(ゆえ)に下計を出すといったのです」と。
上曰善封薛公千戶
上(漢高帝劉邦)曰く、「よろしい」と。元楚令尹薛公に一千戸を封じた。
乃立皇子長為淮南王上遂發兵自將東擊布
そこで皇帝の子の劉長を立てて淮南王と為すことにし、上(漢高帝劉邦)は遂(つい)に兵を発して自(みずか)ら率(ひき)いて東に淮南王英布(黥布)を撃った。