及項梁渡淮信杖劍從之
楚将項梁が淮を渡(わた)るに及んで、韓信は剣を杖(つえ)にしてこれに従い、
居戲下無所知名項梁敗
旗下に居(い)たが、名を知られなかった。楚将項梁が敗(やぶ)れ、
又屬項羽羽以為郎中
また楚将項羽に属(ぞく)し、楚将項羽は楚郎中と為すを以ってした。
數以策干項羽羽不用漢王之入蜀
たびたび楚将項羽に策謀(さくぼう)を以ってしたが、楚将項羽は用(もち)いなかった。漢王劉邦が蜀に入り、
信亡楚歸漢未得知名為連敖
楚郎中韓信は楚を逃げて漢に帰属したが、未(ま)だ名を知られ得ないうちに連敖(接待係)と為った。
坐法當斬其輩十三人皆已斬
法に問(と)われ、斬刑に当たり、その輩(ともがら)十三人が皆(みな)すでに斬られ、
次至信信乃仰視適見滕公曰
次に漢連敖韓信に至り、漢連敖韓信はそこで、仰(あお)ぎ視(み)ると、たまたま漢太僕滕公夏侯嬰を見て、曰く、
上不欲就天下乎何為斬壯士
「上(うえ)は天下を就(つ)きしたがえることを欲しないのか?何の為(ため)に壮士を斬るのか」と。
滕公奇其言壯其貌釋而不斬
漢太僕滕公夏侯嬰はその言をすぐれているとし、その容貌を立派だとし、釈放(しゃくほう)して斬らなかった。
與語大說之言於上
ともに語(かた)り、大いにこれを悦(よろこ)び、上(うえ)に於いて言上(ごんじょう)した。
上拜以為治粟都尉上未之奇也
上(うえ)は官をさずけて治粟都尉と為したが、上(うえ)は未(ま)だすばらしいとしなかったのである。
信數與蕭何語何奇之
漢治粟都尉韓信は漢丞相蕭何とともに語(かた)り、漢丞相蕭何はこれをすぐれているとした。
楚将項梁が淮を渡(わた)るに及んで、韓信は剣を杖(つえ)にしてこれに従い、
居戲下無所知名項梁敗
旗下に居(い)たが、名を知られなかった。楚将項梁が敗(やぶ)れ、
又屬項羽羽以為郎中
また楚将項羽に属(ぞく)し、楚将項羽は楚郎中と為すを以ってした。
數以策干項羽羽不用漢王之入蜀
たびたび楚将項羽に策謀(さくぼう)を以ってしたが、楚将項羽は用(もち)いなかった。漢王劉邦が蜀に入り、
信亡楚歸漢未得知名為連敖
楚郎中韓信は楚を逃げて漢に帰属したが、未(ま)だ名を知られ得ないうちに連敖(接待係)と為った。
坐法當斬其輩十三人皆已斬
法に問(と)われ、斬刑に当たり、その輩(ともがら)十三人が皆(みな)すでに斬られ、
次至信信乃仰視適見滕公曰
次に漢連敖韓信に至り、漢連敖韓信はそこで、仰(あお)ぎ視(み)ると、たまたま漢太僕滕公夏侯嬰を見て、曰く、
上不欲就天下乎何為斬壯士
「上(うえ)は天下を就(つ)きしたがえることを欲しないのか?何の為(ため)に壮士を斬るのか」と。
滕公奇其言壯其貌釋而不斬
漢太僕滕公夏侯嬰はその言をすぐれているとし、その容貌を立派だとし、釈放(しゃくほう)して斬らなかった。
與語大說之言於上
ともに語(かた)り、大いにこれを悦(よろこ)び、上(うえ)に於いて言上(ごんじょう)した。
上拜以為治粟都尉上未之奇也
上(うえ)は官をさずけて治粟都尉と為したが、上(うえ)は未(ま)だすばらしいとしなかったのである。
信數與蕭何語何奇之
漢治粟都尉韓信は漢丞相蕭何とともに語(かた)り、漢丞相蕭何はこれをすぐれているとした。