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宋忠賈誼忽而自失

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宋忠賈誼忽而自失芒乎無色悵然噤口不能言

漢中大夫宋忠、漢博士賈誼はたちまちにして自失(じしつ)しぼんやりとして顔色を無くし、悵然(ちょうぜん)としてがっかりして口をつぐみ言うことができなかった。

於是攝衣而起再拜而辭

ここに於いて衣(ころも)をまくりあげて立ちあがり、再拝(さいはい)して辞(じ)した。

行洋洋也出門僅能自上車

行くは揺揺(ようよう)としてふらふらと(洋洋(ようよう)=揺揺(ようよう)?)、門を出てかろうじて自ら車に上がることができた。

伏軾低頭卒不能出氣

軾(しきみ)に頭を低くして伏(ふ)せ、とうおとう元気を出すことができなかった。

居三日宋忠見賈誼於殿門外乃相引屏語相謂自嘆曰

三日がたち、漢中大夫宋忠は殿門の外に於いて漢博士賈誼に見(まみ)え、そこで互いに塀(へい)に引き寄せあって話しをし、自ら嘆息して謂(い)った、曰く、

道高益安勢高益危

「道が高ければますます安んじ、勢(いきお)いが高ければますます危(あや)うくなる。

居赫赫之勢失身且有日矣

赫赫(かくかく)とした輝かしい勢(いきお)いに居(い)れば、身(み)を失うことはまさにいつかは有らんとするでしょう。

夫卜而有不審不見奪糈

それ、卜(うらな)うにして審(つまび)らかにならないことが有っても食糧を奪(うばわ)れる目にはあわない。


為人主計而不審身無所處

人主の為(ため)に計(はか)って審(つまび)らかにならなければ、身(み)は処するところが無くなる。

此相去遠矣猶天冠地屨也

このように互いに隔(へだ)てるは遠いのであって、ちょうど天の冠(かんむり)に、地面の履(くつ)のようである。

此老子之所謂無名者萬物之始也

これ、老子の謂(い)うところの、名が無かったのは、万物の始まったばかりのとき、である。

天地曠曠物之熙熙或安或危莫知居之

天地が曠曠(こうこう)と広大で、物が熙熙(きき)としてやわらぎ楽しみ、或(あ)るものは安んじ、
或(あ)るものは危(あや)うくなり、これを据(す)えるを知るものはなし。

我與若何足預彼哉

我(われ)となんじは、どうして彼に預(あず)かるに足(た)るだろうかな。

彼久而愈安雖曾氏之義未有以異也

彼は久(ひさ)しくしても愈々(いよいよ)安らかで、曾氏の義(ぎ)と雖(いえど)も、未(ま)だ(これより)異(すぐれる)を以ってするものはない」と。

久之宋忠使匈奴不至而還抵罪

しばらくして、漢中大夫宋忠は匈奴に使(つか)いして、至らないうちに還(かえ)ったので、罪にふれた。

而賈誼為梁懷王傅王墮馬薨誼不食

そして、漢博士賈誼は梁懐王劉揖(漢孝文帝劉恒の子)の教育係と為ったが、梁懐王劉揖が馬から堕(お)ちて死に、梁傅賈誼は食事をとらず、

毒恨而死此務華絕根者也

ひどくくやんで死んだ。これらは、華(はな)に務(つと)めて、根(ね)を絶(た)やした者である。

太史公曰古者卜人所以不載者多不見于篇

太史公曰く、「古(いにしえ)の者の卜人(うらないにん)の載(の)せなかったわけとは、多くが篇に於いて見られなかったからだ。

及至司馬季主余志而著之

司馬季主に至るに及んで、わたしは志(こころざ)してこれを著(あらわ)した」と。

褚先生曰臣為郎時游觀長安中

褚先生曰く、「わたしが郎(官名)だった時、長安中を巡り観(み)て、

見卜筮之賢大夫觀其起居行步

卜筮の賢大夫に見(まみ)え、その立ち居ふるまい、歩行を観(み)た。

坐起自動誓正其衣冠而當鄉人也

座ったり立ち上がったりするときは自ら動かして、必ずその衣(ころも)冠(かんむり)を正(ただ)して、まさに人に向わんとするは、

有君子之風

君子(くんし)の風采(ふうさい)が有った。

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