且三秦王為秦將將秦子弟數歲矣
且(か)つ三秦の王が秦将であったとき、秦の子弟を率いて数年、
所殺亡不可勝計又欺其眾降諸侯
殺したり逃亡させた所、すべて計(はか)ることができず、また、その衆を欺(あざ)むいて諸侯に降(くだ)り、
至新安項王詐阬秦降卒二十餘萬
新安に至ると、項王(西楚覇王項籍(項羽))は偽(いつわ)って秦の降(くだ)った歩兵二十余万人を穴埋(あなう)めし、
唯獨邯欣翳得脫秦父兄怨此三人
ただ、秦将章邯、秦将司馬欣、秦将董翳だけが、免(まぬか)れることを得て、秦の父兄はこの三人を怨(うら)み、
痛入骨髓今楚彊以威王此三人秦民莫愛也
痛(いた)みは骨髄(こつずい)に入っています。今、楚は強く、威(い)を以ってこの三人を王にしましたが、秦の民(たみ)は好んではいないのです。
大王之入武關秋豪無所害除秦苛法
大王(漢王劉邦)が武関に入り、ごく小さなものでも害されたところ無く、秦の苛酷(かこく)な法律を
除(のぞ)き、
與秦民約法三章耳秦民無不欲得大王王秦者
秦の民(たみ)と約したのは、法の三章のみで、秦の民(たみ)は大王(漢王劉邦)が秦で王になるを得ることを欲さない者はおりませんでした。
於諸侯之約大王當王關中關中民咸知之
諸侯の約束に於いて、大王(漢王劉邦)がまさに関中で王なるべきだったことは、関中の民(たみ)は
あまねくこれを知っています。
大王失職入漢中秦民無不恨者
大王(漢王劉邦)が職を失(うしな)って漢中に入ったことは、秦の民(たみ)は恨(うら)まない者はいません。
今大王舉而東三秦可傳檄而定也
今、大王(漢王劉邦)は挙(あ)げて東の三秦に進み、ふれぶみを伝えて平定するべきであります」と。
於是漢王大喜自以為得信晚
ここに於いて漢王劉邦は大いに喜び、自(みずか)ら漢大将韓信を得るのが晩(おそ)かったと思った。
遂聽信計部署諸將所擊
遂(つい)に漢大将韓信の計を聴(き)き入れて、諸(もろもろ)の漢将軍に撃(う)つ所を振り分けた。
且(か)つ三秦の王が秦将であったとき、秦の子弟を率いて数年、
所殺亡不可勝計又欺其眾降諸侯
殺したり逃亡させた所、すべて計(はか)ることができず、また、その衆を欺(あざ)むいて諸侯に降(くだ)り、
至新安項王詐阬秦降卒二十餘萬
新安に至ると、項王(西楚覇王項籍(項羽))は偽(いつわ)って秦の降(くだ)った歩兵二十余万人を穴埋(あなう)めし、
唯獨邯欣翳得脫秦父兄怨此三人
ただ、秦将章邯、秦将司馬欣、秦将董翳だけが、免(まぬか)れることを得て、秦の父兄はこの三人を怨(うら)み、
痛入骨髓今楚彊以威王此三人秦民莫愛也
痛(いた)みは骨髄(こつずい)に入っています。今、楚は強く、威(い)を以ってこの三人を王にしましたが、秦の民(たみ)は好んではいないのです。
大王之入武關秋豪無所害除秦苛法
大王(漢王劉邦)が武関に入り、ごく小さなものでも害されたところ無く、秦の苛酷(かこく)な法律を
除(のぞ)き、
與秦民約法三章耳秦民無不欲得大王王秦者
秦の民(たみ)と約したのは、法の三章のみで、秦の民(たみ)は大王(漢王劉邦)が秦で王になるを得ることを欲さない者はおりませんでした。
於諸侯之約大王當王關中關中民咸知之
諸侯の約束に於いて、大王(漢王劉邦)がまさに関中で王なるべきだったことは、関中の民(たみ)は
あまねくこれを知っています。
大王失職入漢中秦民無不恨者
大王(漢王劉邦)が職を失(うしな)って漢中に入ったことは、秦の民(たみ)は恨(うら)まない者はいません。
今大王舉而東三秦可傳檄而定也
今、大王(漢王劉邦)は挙(あ)げて東の三秦に進み、ふれぶみを伝えて平定するべきであります」と。
於是漢王大喜自以為得信晚
ここに於いて漢王劉邦は大いに喜び、自(みずか)ら漢大将韓信を得るのが晩(おそ)かったと思った。
遂聽信計部署諸將所擊
遂(つい)に漢大将韓信の計を聴(き)き入れて、諸(もろもろ)の漢将軍に撃(う)つ所を振り分けた。