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衛平對曰不然

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衛平對曰不然河雖神賢不如崑崙之山

宋博士衛平は応(こた)えて曰く、「そうではありません。河は神賢と雖(いえど)も、崑崙の山には及ばず、

江之源理不如四海而人尚奪取其寶

江の源理は四海には及びません。しこうして、人は尚(なお)その宝を奪(うば)い取り、

諸侯爭之兵革為起小國見亡大國危殆

諸侯はこれを争い、戦争が起こることに為ります。小国は亡(ほろ)ぼされ、大国は殆(ほとん)ど危(あや)うくなり、

殺人父兄虜人妻子殘國滅廟以爭此寶

人の父兄を殺し、人の妻子を虜(とりこ)にし、国をほろぼし、廟(びょう)を滅(ほろ)ぼし、これらの宝を争うを以ってしました。

戰攻分爭,是暴彊也。故云取之以暴彊而治以文理,

戦い攻(せ)めて分(わ)けて争うは、これ暴強であります。故(ゆえ)に云(い)う、これを取るに暴強を以ってし、治(おさ)めるに文理を以ってすると。

無逆四時必親賢士與陰陽化鬼神為使

四季に逆(さか)らうこと無く、必ず賢士に親(した)しみ、陰陽(いんよう)とともに変化して、鬼神が使者に為り、

通於天地與之為友諸侯賓服民眾殷喜

天地に通じて、これとともに友(とも)に為れば、諸侯は賓服(ひんぷく)し、民衆は富んで喜びます。

邦家安寧與世更始湯武行之乃取天子

国家は安寧(あんねい)して、世とともに改(あらた)めて始める。殷湯王、周武王がこれを行い、すなわち天子を取ったのです。

春秋著之以為經紀王不自稱湯武而自比桀紂

春秋がこれを著(あらわ)し、経紀をつくるを以ってしました。王は自らを殷湯王、周武王に適(かな)えず、しこうして、自らを夏桀王、殷紂王になぞらえました。

桀紂為暴彊也固以為常桀為瓦室紂為象郎

夏桀王、殷紂王は暴強であるは、固(もと)より常識と為っています。夏桀王は煉瓦(れんが)の家をつくり、殷紂王は象牙(ぞうげ)の高楼(郎(ろう)=楼(ろう)?)をつくりました。

徵絲灼之務以費(民)[氓]賦斂無度殺戮無方

(象の)歯(は 絲(し)=歯(し)?)を求めてこれに焚灼(ふんしゃく 苦心すること)し、務(つと)めるに民(たみ)を費(つい)えさせるを以ってしました。賦斂(ふれん 租税を割り当てて取り立てること)は制限が無く、殺戮(さつりく)は方法を選ばず、

殺人六畜以韋為囊囊盛其血與人縣而射之

人、六蓄(馬、牛、羊、豚、鶏、犬)を殺し、なめしがわを以って袋をつくり、袋にはその血を盛(も)られ、人と懸(か)けて、これを射(い)て、

與天帝爭彊逆亂四時先百鬼嘗諫者輒死諛者在傍

天帝と強さを争いました。四季、先祖の百鬼の秋の祭りを乱(みだ)し逆(さか)らい、諌(いさ)める者はことごとく死に、へつらう者が傍(かたわ)らにいました。

聖人伏匿百姓莫行天數枯旱國多妖祥

聖人は伏(ふ)して隠(かく)れ、百姓は行うものはありませんでした。天はたびたび旱魃(かんばつ)になって、国には奇怪な兆(きざ)しが多くなりました。

螟蟲歲生五穀不成民不安其處鬼神不享

バッタが毎年生(しょう)じ、五穀は成りませんでした。民はその処(ところ)に安んぜず、鬼神は祭られませんでした。

飄風日起正晝晦冥日月并蝕滅息無光

つむじ風が毎日起こり、真昼に暗くなりました。太陽、月が並び蝕(しょく)され、消えて光(ひかり)を無くしました。

列星奔亂皆絕紀綱以是觀之安得久長

列(つら)なる星は奔乱し、皆(みな)紀綱(きこう)を絶(た)ちました。これを以ってこれを観(み)るに、いずこが久しく長く得られるでしょうか。

雖無湯武時固當亡故湯伐桀武王剋紂其時使然

殷湯王、周武王で無いと雖(いえど)も、時は固(もと)より亡(ほろ)びるに当たっていたのです。
故(ゆえ)に殷湯王は夏桀王を征伐し、周武王は殷紂王に勝ち、その時はそのようにさせたのです。

乃為天子子孫續世終身無咎後世稱之至今不已

そこで、天子に為って、子孫が世を続けました。身を終えるまで咎(とが)無く、後世にこれを称(たた)え、今に至っても已(や)みません。

是皆當時而行見事而彊乃能成其帝王

ここに皆(みな)時に当たって行い、事を見て強くなり、そこでその帝王と成ることができたのです。

今龜大寶也為聖人使傳之賢(士)[王]

今、亀は大いなる宝(たから)であり、聖人の使(つか)いと為って、賢士に伝えるに、

不用手足雷電將之風雨送之流水行之

手足を用いず、雷電(らいでん)がこれを率(ひき)い、風雨(ふうう)がこれを送り、流水がこれを行かせました。

侯王有乃得當之今王有而當此寶恐不敢受

侯、王に徳が有れば、すなわちこれにつりあうのです。今、王には徳が有り、この宝(たから)につりあうのに、敢(あ)えて受けないことを恐れます。

王若遣之宋必有咎後雖悔之亦無及已

王がもしもこれを送れは、宋は必ず咎(とが)を有することでしょう。後でこれを悔(く)やむと雖(いえど)も、また及ぶことは無いだけなのです』と。

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