成安君儒者也常稱義兵不用詐謀奇計
成安君陳余(代王趙傅陳余)は儒者(じゅしゃ)であり、常(つね)に正義の戦いを称(たた)え、偽(いつわ)りの謀(はかりごと)、奇計(きけい)は用(もち)いず、
曰吾聞兵法十則圍之倍則戰
曰く、「吾(われ)は聞きます、兵法(ひょうほう)では(兵力が)十倍ならばこれを包囲し、二倍ならば戦う、と。
今韓信兵號數萬其實不過數千
今、漢左丞相韓信大将軍は数万人と号しているが、その実際は数千人に過ぎないでしょう。
能千里而襲我亦已罷極
千里を移動して我(われ)らを襲(おそ)うことができても、またすでに疲労は極(きわ)まっています。
今如此避而不擊後有大者何以加之
今、この如(ごと)くが避(さ)けられて撃(う)たれなければ、後(のち)に大きな戦いが有ったとき、何ものを以ってこれに加(くわ)えましょうか。
則諸侯謂吾怯而輕來伐我
すなわち諸侯は我らが怯(おび)えていると謂(い)い、しこうして軽々しく来て我(われ)らを打(う)つでしょう」と。
不聽廣武君策廣武君策不用
広武君李左車の策(さく)を聞き入れず、広武君李左車の策(さく)は用(もち)いられなかった。
韓信使人視知其不用還報
漢左丞相韓信大将軍は人をつかわしてひそかにうかがわせ、その用(もち)いなかったことを知って還(かえ)って報告すると、
則大喜乃敢引兵遂下
すなわち、大いに喜び、そこで敢(あ)えて兵を引いて遂(つい)に(東に)下(くだ)った。
未至井陘口三十里止舍
未(ま)だ井陘の出口に至らない三十里(一里150m換算で約4.5km)手前で、止(と)どまり泊(と)まった。
夜半傳發選輕騎二千人人持一赤幟
夜半にことづけが発せられ、身軽な騎兵二千人を選び、一人が一つの赤いのぼり旗を持ち、
從道萆山而望趙軍誡曰
間道(かんどう)から山をおおいて、趙軍を望(のぞ)んで、誡(いまし)めて曰く、
趙見我走必空壁逐我若疾入趙壁
「趙が我(われ 漢)らが逃げるのを見て、必ずとりでを空(から)にして我(われ)らを追いかけるだろう。なんじらはすばやく趙のとりでに入り、
拔趙幟立漢赤幟令其裨將傳飱曰
趙ののぼり旗を抜(ぬ)いて、漢の赤いのぼり旗を立てよ」と。その漢副将に令(れい)して小食をさずけさせ、曰く、
今日破趙會食諸將皆莫信詳應曰
「今日、趙を破(やぶ)ったら食事に会(かい)そう」と。諸(もろもろ)の漢将軍は皆(みな)信じなかったが、偽(いつわ)って応(おう)じて曰く、
諾謂軍吏曰趙已先據便地為壁
「わかりました」と。軍吏に謂(い)った曰く、「趙はすでに先(さき)んじて便利な地に拠(よ)って
とりでをつくった。
且彼未見吾大將旗鼓未肯擊前行恐吾至阻險而還
且(か)つ、彼らはまだ吾(わ)が大将の旗(はた)太鼓(たいこ)を見ないうちは、吾(われ)らが険阻(けんそ)なところに至(いた)って還(かえ)ることを恐れ、まだ前(さき)に行く者たちを撃(う)つことをよしとしないだろう」と。
信乃使萬人先行出背水陳
漢左丞相韓信大将軍はそこで一万人をつかわし先(さき)に行かせ、(井陘口を)出て、川を背(せ)にして陣立(じんだ)てさせた。
成安君陳余(代王趙傅陳余)は儒者(じゅしゃ)であり、常(つね)に正義の戦いを称(たた)え、偽(いつわ)りの謀(はかりごと)、奇計(きけい)は用(もち)いず、
曰吾聞兵法十則圍之倍則戰
曰く、「吾(われ)は聞きます、兵法(ひょうほう)では(兵力が)十倍ならばこれを包囲し、二倍ならば戦う、と。
今韓信兵號數萬其實不過數千
今、漢左丞相韓信大将軍は数万人と号しているが、その実際は数千人に過ぎないでしょう。
能千里而襲我亦已罷極
千里を移動して我(われ)らを襲(おそ)うことができても、またすでに疲労は極(きわ)まっています。
今如此避而不擊後有大者何以加之
今、この如(ごと)くが避(さ)けられて撃(う)たれなければ、後(のち)に大きな戦いが有ったとき、何ものを以ってこれに加(くわ)えましょうか。
則諸侯謂吾怯而輕來伐我
すなわち諸侯は我らが怯(おび)えていると謂(い)い、しこうして軽々しく来て我(われ)らを打(う)つでしょう」と。
不聽廣武君策廣武君策不用
広武君李左車の策(さく)を聞き入れず、広武君李左車の策(さく)は用(もち)いられなかった。
韓信使人視知其不用還報
漢左丞相韓信大将軍は人をつかわしてひそかにうかがわせ、その用(もち)いなかったことを知って還(かえ)って報告すると、
則大喜乃敢引兵遂下
すなわち、大いに喜び、そこで敢(あ)えて兵を引いて遂(つい)に(東に)下(くだ)った。
未至井陘口三十里止舍
未(ま)だ井陘の出口に至らない三十里(一里150m換算で約4.5km)手前で、止(と)どまり泊(と)まった。
夜半傳發選輕騎二千人人持一赤幟
夜半にことづけが発せられ、身軽な騎兵二千人を選び、一人が一つの赤いのぼり旗を持ち、
從道萆山而望趙軍誡曰
間道(かんどう)から山をおおいて、趙軍を望(のぞ)んで、誡(いまし)めて曰く、
趙見我走必空壁逐我若疾入趙壁
「趙が我(われ 漢)らが逃げるのを見て、必ずとりでを空(から)にして我(われ)らを追いかけるだろう。なんじらはすばやく趙のとりでに入り、
拔趙幟立漢赤幟令其裨將傳飱曰
趙ののぼり旗を抜(ぬ)いて、漢の赤いのぼり旗を立てよ」と。その漢副将に令(れい)して小食をさずけさせ、曰く、
今日破趙會食諸將皆莫信詳應曰
「今日、趙を破(やぶ)ったら食事に会(かい)そう」と。諸(もろもろ)の漢将軍は皆(みな)信じなかったが、偽(いつわ)って応(おう)じて曰く、
諾謂軍吏曰趙已先據便地為壁
「わかりました」と。軍吏に謂(い)った曰く、「趙はすでに先(さき)んじて便利な地に拠(よ)って
とりでをつくった。
且彼未見吾大將旗鼓未肯擊前行恐吾至阻險而還
且(か)つ、彼らはまだ吾(わ)が大将の旗(はた)太鼓(たいこ)を見ないうちは、吾(われ)らが険阻(けんそ)なところに至(いた)って還(かえ)ることを恐れ、まだ前(さき)に行く者たちを撃(う)つことをよしとしないだろう」と。
信乃使萬人先行出背水陳
漢左丞相韓信大将軍はそこで一万人をつかわし先(さき)に行かせ、(井陘口を)出て、川を背(せ)にして陣立(じんだ)てさせた。