昔唐人都河東殷人都河內周人都河南
昔、唐人は河東を都(みやこ)にし、殷人は河内を都(みやこ)にし、周人は河南を都(みやこ)にした。
夫三河在天下之中若鼎足王者所更居也
それ、三河は天下の中心に在(あ)って、鼎(かなえ)の足(三本足)のごとく、王者が居を改めたところである。
建國各數百千歲土地小狹民人眾
建国して各(おのおの)数百千年、土地は小さく狭(せま)く、人民は多く、
都國諸侯所聚會故其俗纖儉習事
都(みやこ)は国、諸侯が集会するところで、故(ゆえ)にその俗(ぞく)はつつましく事(こと)に習熟した。
楊平陽陳西賈秦翟北賈種代
楊(河東)、平陽(河東)、陳(河南)は西に秦、翟に商(あきな)い、北に種、代に商(あきな)った。
種代石北也地邊胡數被寇
種、代は石北であり、地は胡(きょうど)にとなりあい、たびたび寇(こう 集団でうばいとること)を被(こうむ)った。
人民矜懻忮好氣任俠為姦不事農商
人民はうらんでそばだち、気を好(この)み、任侠(にんきょう)で不正を為し、農、商を事(こと)としなかった。
然迫近北夷師旅亟往中國委輸時有奇羨
然るに北夷に迫(せま)り近く、軍隊がしばしば往(ゆ)き、中国が輸送を委(ゆだ)ねた時、すぐれたあまりものを有(ゆう)した。
其民羯羠不均自全晉之時固已患其僄悍
その民は羯羠(どなり傷つけ?)して均(ひと)しくせず、全晋の時より固(もと)よりすでにその僄悍(すばやくて荒々しいこと)さを患(うれ)いており、
而武靈王益之其謠俗猶有趙之風也
しこうして趙武霊王はますますこれに悩(なや)み、その俗(ぞく)を歌うは猶(なお)趙の気質を有したのである。
故楊平陽陳掾其得所欲
故(ゆえ)に楊(河東)、平陽(河東)、陳(河南)はその間(あいだ)に拠(よ)り欲するところを得た。
溫軹西賈上黨北賈趙中山
溫(河内)、軹(河内)は西に上党に商(あきな)い、北に趙、中山に商(あきな)った。
中山地薄人眾猶有沙丘紂淫地餘民
中山の地は草木が密生 し、人が多く、猶(なお)沙丘には紂(帝紂の)淫(殷?)地の残った民(たみ)がおり、
民俗懁急仰機利而食
民俗は気ぜわしく、機利(きり 機会に乗じて利益を得ること)を仰(あお)いで食した。
丈夫相聚游戲悲歌慨起則相隨椎剽
丈夫(一人前の男子)は相(あい)集まって遊戯をし、悲しい歌をうたってなげき、たちあがれば相(あい)まにまにたたきおびやかした。
休則掘冢作巧姦冶多美物為倡優
休めば、墳墓を掘りかえし、巧(たく)みに不正に金属を鋳(い)て作り、美しい物を多(た)とし、役者と為った。
女子則鼓鳴瑟跕屣
女子ならば、瑟(おおごと)を鳴(な)らし、はきものをつっかけにはいて歩き、
游媚貴富入後宮遍諸侯
貴富に遊びへつらい、後宮に入るは、諸侯に遍(あまね)くした。
昔、唐人は河東を都(みやこ)にし、殷人は河内を都(みやこ)にし、周人は河南を都(みやこ)にした。
夫三河在天下之中若鼎足王者所更居也
それ、三河は天下の中心に在(あ)って、鼎(かなえ)の足(三本足)のごとく、王者が居を改めたところである。
建國各數百千歲土地小狹民人眾
建国して各(おのおの)数百千年、土地は小さく狭(せま)く、人民は多く、
都國諸侯所聚會故其俗纖儉習事
都(みやこ)は国、諸侯が集会するところで、故(ゆえ)にその俗(ぞく)はつつましく事(こと)に習熟した。
楊平陽陳西賈秦翟北賈種代
楊(河東)、平陽(河東)、陳(河南)は西に秦、翟に商(あきな)い、北に種、代に商(あきな)った。
種代石北也地邊胡數被寇
種、代は石北であり、地は胡(きょうど)にとなりあい、たびたび寇(こう 集団でうばいとること)を被(こうむ)った。
人民矜懻忮好氣任俠為姦不事農商
人民はうらんでそばだち、気を好(この)み、任侠(にんきょう)で不正を為し、農、商を事(こと)としなかった。
然迫近北夷師旅亟往中國委輸時有奇羨
然るに北夷に迫(せま)り近く、軍隊がしばしば往(ゆ)き、中国が輸送を委(ゆだ)ねた時、すぐれたあまりものを有(ゆう)した。
其民羯羠不均自全晉之時固已患其僄悍
その民は羯羠(どなり傷つけ?)して均(ひと)しくせず、全晋の時より固(もと)よりすでにその僄悍(すばやくて荒々しいこと)さを患(うれ)いており、
而武靈王益之其謠俗猶有趙之風也
しこうして趙武霊王はますますこれに悩(なや)み、その俗(ぞく)を歌うは猶(なお)趙の気質を有したのである。
故楊平陽陳掾其得所欲
故(ゆえ)に楊(河東)、平陽(河東)、陳(河南)はその間(あいだ)に拠(よ)り欲するところを得た。
溫軹西賈上黨北賈趙中山
溫(河内)、軹(河内)は西に上党に商(あきな)い、北に趙、中山に商(あきな)った。
中山地薄人眾猶有沙丘紂淫地餘民
中山の地は草木が密生 し、人が多く、猶(なお)沙丘には紂(帝紂の)淫(殷?)地の残った民(たみ)がおり、
民俗懁急仰機利而食
民俗は気ぜわしく、機利(きり 機会に乗じて利益を得ること)を仰(あお)いで食した。
丈夫相聚游戲悲歌慨起則相隨椎剽
丈夫(一人前の男子)は相(あい)集まって遊戯をし、悲しい歌をうたってなげき、たちあがれば相(あい)まにまにたたきおびやかした。
休則掘冢作巧姦冶多美物為倡優
休めば、墳墓を掘りかえし、巧(たく)みに不正に金属を鋳(い)て作り、美しい物を多(た)とし、役者と為った。
女子則鼓鳴瑟跕屣
女子ならば、瑟(おおごと)を鳴(な)らし、はきものをつっかけにはいて歩き、
游媚貴富入後宮遍諸侯
貴富に遊びへつらい、後宮に入るは、諸侯に遍(あまね)くした。