然邯鄲亦漳河之一都會也
然(しか)るに邯鄲(趙の都)もまた漳、河の間(あいだ)の一都会である。
北通燕涿南有鄭衛
北に燕、涿に通じ、南に鄭、衛が有る。
鄭衛俗與趙相類然近梁魯微重而矜節
鄭、衛の俗(ぞく)は趙と相(あい)類(るい)し、然(しか)るに梁、魯に近いので、かすかに礼節を重んじうやまう。
濮上之邑徙野王野王好氣任俠衛之風也
濮上の邑は野王(河内)に移り、野王(河内)は気を好み任侠(にんきょう)で、衛の気質である。
夫燕亦勃碣之一都會也
それ、燕もまた勃、碣の間(あいだ)の一都会である。
南通齊趙東北邊胡
南に斉、趙に通じ、東北に胡(匈奴)にとなりあう。
上谷至遼東地踔遠人民希數被寇
上谷は遼東に至り、地ははるか遠く、人民は希(まれ)で、たびたび寇(こう 集団でうばいとること)を被(こうむ)った。
大與趙代俗相類而民雕捍少慮有魚鹽棗栗之饒
おおまかに趙、代の俗(ぞく)と相(あい)類似し、しこうして民はずるがしこく荒々しく慮(おもんばか)りが少ない。魚、塩、棗(なつめ)、栗(くり)の豊饒(ほうじょう)が有る。
北鄰烏桓夫餘東綰穢貉朝鮮真番之利
北に烏桓、夫餘に隣(とな)りあい、東に穢貉、朝鮮、真番の利(り)に結(むす)ぶ。
洛陽東賈齊魯南賈梁楚
洛陽は東に斉、魯に商(あきな)い、南に梁、楚に商(あきな)う。
故泰山之陽則魯其陰則齊
故(ゆえ)に泰山の陽であれば魯、その陰であれば斉である。
齊帶山海膏壤千里宜桑麻人民多文綵布帛魚鹽
斉は山、海を帯(お)び、肥沃な土地が千里、桑(くわ 絹)、麻(あさ)を宜(よろ)しくして、人民は模様や彩(いろど)りのある織物、魚、塩を多(た)とした。
臨菑亦海岱之一都會也
臨菑もまた、海、岱の間(あいだ)の一都会である。
其俗緩闊達而足智好議論地重難動搖
その俗(ぞく)はのんびりして心がひろくこせこせしておらず、しこうして、智(ち)に足(た)り、議論を好み、地は重く、動揺(どうよう)し難(がた)く、
怯於眾鬬勇於持刺
衆闘(大勢の闘い)に怯(おび)え、刃物を持つことにおいては勇(いさ)み、
故多劫人者大國之風也其中具五民
故(ゆえ)に人をおびやかして制する者が多く、大国の気質である。その中は五民(士農工商賈)を具(そな)える。
然(しか)るに邯鄲(趙の都)もまた漳、河の間(あいだ)の一都会である。
北通燕涿南有鄭衛
北に燕、涿に通じ、南に鄭、衛が有る。
鄭衛俗與趙相類然近梁魯微重而矜節
鄭、衛の俗(ぞく)は趙と相(あい)類(るい)し、然(しか)るに梁、魯に近いので、かすかに礼節を重んじうやまう。
濮上之邑徙野王野王好氣任俠衛之風也
濮上の邑は野王(河内)に移り、野王(河内)は気を好み任侠(にんきょう)で、衛の気質である。
夫燕亦勃碣之一都會也
それ、燕もまた勃、碣の間(あいだ)の一都会である。
南通齊趙東北邊胡
南に斉、趙に通じ、東北に胡(匈奴)にとなりあう。
上谷至遼東地踔遠人民希數被寇
上谷は遼東に至り、地ははるか遠く、人民は希(まれ)で、たびたび寇(こう 集団でうばいとること)を被(こうむ)った。
大與趙代俗相類而民雕捍少慮有魚鹽棗栗之饒
おおまかに趙、代の俗(ぞく)と相(あい)類似し、しこうして民はずるがしこく荒々しく慮(おもんばか)りが少ない。魚、塩、棗(なつめ)、栗(くり)の豊饒(ほうじょう)が有る。
北鄰烏桓夫餘東綰穢貉朝鮮真番之利
北に烏桓、夫餘に隣(とな)りあい、東に穢貉、朝鮮、真番の利(り)に結(むす)ぶ。
洛陽東賈齊魯南賈梁楚
洛陽は東に斉、魯に商(あきな)い、南に梁、楚に商(あきな)う。
故泰山之陽則魯其陰則齊
故(ゆえ)に泰山の陽であれば魯、その陰であれば斉である。
齊帶山海膏壤千里宜桑麻人民多文綵布帛魚鹽
斉は山、海を帯(お)び、肥沃な土地が千里、桑(くわ 絹)、麻(あさ)を宜(よろ)しくして、人民は模様や彩(いろど)りのある織物、魚、塩を多(た)とした。
臨菑亦海岱之一都會也
臨菑もまた、海、岱の間(あいだ)の一都会である。
其俗緩闊達而足智好議論地重難動搖
その俗(ぞく)はのんびりして心がひろくこせこせしておらず、しこうして、智(ち)に足(た)り、議論を好み、地は重く、動揺(どうよう)し難(がた)く、
怯於眾鬬勇於持刺
衆闘(大勢の闘い)に怯(おび)え、刃物を持つことにおいては勇(いさ)み、
故多劫人者大國之風也其中具五民
故(ゆえ)に人をおびやかして制する者が多く、大国の気質である。その中は五民(士農工商賈)を具(そな)える。