請略道當世千里之中賢人所以富者
当世(とうせい)千里(せんり)の中の賢人が富(とみ)を以ってしたところの者を略して語ることを請(こ)う。
令後世得以觀擇焉
後世(こうせい)をして択(えら)び観(み)るを以ってすることを得さしめるだろう。
蜀卓氏之先趙人也用鐵冶富
蜀の卓氏の先祖は趙の人であり、鉄冶(てつや 鉄鉱石を溶かし鉄を取り出すこと)を用いて富(と)んだが、
秦破趙遷卓氏
秦が趙を破り卓氏を移した。
卓氏見虜略獨夫妻推輦行詣遷處
卓氏は虜略(りょりゃく 人をとりこにして物をうばいとること)の目にあい、ただ夫妻だけが荷車を推(おして、遷(うつ)る処(ところ)に行った。
諸遷虜少有餘財爭與吏求近處處葭萌
諸(もろもろ)の遷(うつ)される虜(とりこ)は少し残った財が有り、争って役人に与(あた)え、近くの処(ところ)を求めて、葭萌(地名)に処(ところ)した。
唯卓氏曰此地狹薄吾聞汶山之下
唯(ただ)卓氏のみが曰く、「この地は狭(せま)くやせている。吾(われ)は聞く、汶山の下は、
沃野下有蹲鴟至死不饑民工於市易賈
肥沃な平野で、下(もと)には蹲鴟(大きないも)が有り、餓(う)えずに死に至る、民は工をして市(いち)に行き、商人(あきんど)にかわる、と」と。
乃求遠遷致之臨邛大喜即鐵山鼓鑄
そこで遠くに遷(うつ)ることを求めた。臨邛に行く着くと、大いに喜び、すなわち鉄山は鋳(ちゅう)を鳴(な)らし
運籌策傾滇蜀之民富至僮千人
計画をめぐらせ、滇、蜀の民を帰服(きふく)させて、富(とみ)は奴婢(ぬひ)千人に至った。
田池射獵之樂擬於人君
池での漁(りょう)、射猟の楽しみは、人君に準(じゅん)じた。
程鄭山東遷虜也亦冶鑄
程鄭は山東の遷虜(うつされたとりこ)であり、また冶鋳(やちゅう)をし、
賈椎髻之民富埒卓氏俱居臨邛
椎髻(さいづちまげ)を結(ゆ)う民にあきないして、富(とみ)は卓氏に均(ひと)しく、
ともに臨邛に居住した。
宛孔氏之先梁人也用鐵冶為業
宛の孔氏の先祖は梁の人であり、鉄冶(てつや 鉄鉱石を溶かし鉄を取り出すこと)を用いて業と為したが、
秦伐魏遷孔氏南陽
秦が魏を討(う)ち、孔氏を南陽に遷(うつ)した。
大鼓鑄規陂池連車騎游諸侯
大いに鋳(ちゅう)を鳴(な)らし、陂池(ひち)をただし、車騎を連(つら)ね、諸侯を巡(めぐ)り、
因通商賈之利有游公子之賜與名
因(よ)りて商賈(しょうこ)の利(り)を通(かよ)わせて、游公子の賜(恩恵)を有して名誉に与(あずか)った。
然其贏得過當愈於纖嗇家致富數千金
然(しか)るにその儲(もう)けものは当(とう)を越(こ)えていたが、愈々(いよいよ)つつましく節約して、家は数千金の富(とみ)をなしとげた。
故南陽行賈盡法孔氏之雍容
故(ゆえ)に南陽の行商(ぎょうしょう)はことごとくみな孔氏の雍容(ようよう やわらいださま)に法(のっと)った。
魯人俗儉嗇而曹邴氏尤甚
魯の人の俗(ぞく)は倹約でつつましく、しこうして、曹邴氏が尤(もっと)も甚(はなは)だしく、
以鐵冶起富至巨萬
鉄冶(てつや 鉄鉱石を溶かし鉄を取り出すこと)を以って身を起こし、富(とみ)は巨万に至った。
然家自父兄子孫約俛有拾
然(しか)るに家は自ずから父、兄、子孫は倹約で、うつむいては拾(ひろ)いものを有(ゆう)し、
仰有取貰貸行賈遍郡國
仰(あお)いでは取りものを有(ゆう)し、かけうりをして行商は郡国を遍(あまね)くした。
鄒魯以其故多去文學而趨利者以曹邴氏也
鄒、魯はその故(ゆえ)を以って、文学を去(さ)って、利(り)に走る者が多く、曹邴氏を以ってするのである。
当世(とうせい)千里(せんり)の中の賢人が富(とみ)を以ってしたところの者を略して語ることを請(こ)う。
令後世得以觀擇焉
後世(こうせい)をして択(えら)び観(み)るを以ってすることを得さしめるだろう。
蜀卓氏之先趙人也用鐵冶富
蜀の卓氏の先祖は趙の人であり、鉄冶(てつや 鉄鉱石を溶かし鉄を取り出すこと)を用いて富(と)んだが、
秦破趙遷卓氏
秦が趙を破り卓氏を移した。
卓氏見虜略獨夫妻推輦行詣遷處
卓氏は虜略(りょりゃく 人をとりこにして物をうばいとること)の目にあい、ただ夫妻だけが荷車を推(おして、遷(うつ)る処(ところ)に行った。
諸遷虜少有餘財爭與吏求近處處葭萌
諸(もろもろ)の遷(うつ)される虜(とりこ)は少し残った財が有り、争って役人に与(あた)え、近くの処(ところ)を求めて、葭萌(地名)に処(ところ)した。
唯卓氏曰此地狹薄吾聞汶山之下
唯(ただ)卓氏のみが曰く、「この地は狭(せま)くやせている。吾(われ)は聞く、汶山の下は、
沃野下有蹲鴟至死不饑民工於市易賈
肥沃な平野で、下(もと)には蹲鴟(大きないも)が有り、餓(う)えずに死に至る、民は工をして市(いち)に行き、商人(あきんど)にかわる、と」と。
乃求遠遷致之臨邛大喜即鐵山鼓鑄
そこで遠くに遷(うつ)ることを求めた。臨邛に行く着くと、大いに喜び、すなわち鉄山は鋳(ちゅう)を鳴(な)らし
運籌策傾滇蜀之民富至僮千人
計画をめぐらせ、滇、蜀の民を帰服(きふく)させて、富(とみ)は奴婢(ぬひ)千人に至った。
田池射獵之樂擬於人君
池での漁(りょう)、射猟の楽しみは、人君に準(じゅん)じた。
程鄭山東遷虜也亦冶鑄
程鄭は山東の遷虜(うつされたとりこ)であり、また冶鋳(やちゅう)をし、
賈椎髻之民富埒卓氏俱居臨邛
椎髻(さいづちまげ)を結(ゆ)う民にあきないして、富(とみ)は卓氏に均(ひと)しく、
ともに臨邛に居住した。
宛孔氏之先梁人也用鐵冶為業
宛の孔氏の先祖は梁の人であり、鉄冶(てつや 鉄鉱石を溶かし鉄を取り出すこと)を用いて業と為したが、
秦伐魏遷孔氏南陽
秦が魏を討(う)ち、孔氏を南陽に遷(うつ)した。
大鼓鑄規陂池連車騎游諸侯
大いに鋳(ちゅう)を鳴(な)らし、陂池(ひち)をただし、車騎を連(つら)ね、諸侯を巡(めぐ)り、
因通商賈之利有游公子之賜與名
因(よ)りて商賈(しょうこ)の利(り)を通(かよ)わせて、游公子の賜(恩恵)を有して名誉に与(あずか)った。
然其贏得過當愈於纖嗇家致富數千金
然(しか)るにその儲(もう)けものは当(とう)を越(こ)えていたが、愈々(いよいよ)つつましく節約して、家は数千金の富(とみ)をなしとげた。
故南陽行賈盡法孔氏之雍容
故(ゆえ)に南陽の行商(ぎょうしょう)はことごとくみな孔氏の雍容(ようよう やわらいださま)に法(のっと)った。
魯人俗儉嗇而曹邴氏尤甚
魯の人の俗(ぞく)は倹約でつつましく、しこうして、曹邴氏が尤(もっと)も甚(はなは)だしく、
以鐵冶起富至巨萬
鉄冶(てつや 鉄鉱石を溶かし鉄を取り出すこと)を以って身を起こし、富(とみ)は巨万に至った。
然家自父兄子孫約俛有拾
然(しか)るに家は自ずから父、兄、子孫は倹約で、うつむいては拾(ひろ)いものを有(ゆう)し、
仰有取貰貸行賈遍郡國
仰(あお)いでは取りものを有(ゆう)し、かけうりをして行商は郡国を遍(あまね)くした。
鄒魯以其故多去文學而趨利者以曹邴氏也
鄒、魯はその故(ゆえ)を以って、文学を去(さ)って、利(り)に走る者が多く、曹邴氏を以ってするのである。