齊俗賤奴虜而刀獨愛貴之
斉の俗(ぞく)は賎(いや)しい奴虜で、しこうして刀間は独(ひと)りこれを愛し貴(とうと)んだ。
桀黠奴人之所患也唯刀收取
桀黠(けっかつ 悪知恵があって荒々しいこと)の奴は人の患(うれ)えるところであるが、唯(ただ)刀のみが収(おさ)め取り、
使之逐漁鹽商賈之利或連車騎
これをつかわして漁塩の商賈(しょうこ)の利(り)を追求させ、或(あ)るものは車騎を連(つら)ね、
交守相然愈益任之
太守、相に交(まじ)わった。然(しか)るに愈々(いよいよ)益々(ますます)これに委(ゆだ)ねた。
終得其力起富數千萬
終(しま)いにはその力を得て、富(とみ)を起こすこと数千万。
故曰寧爵毋刀言其能使豪奴自饒而盡其力
故(ゆえ)に曰く、「寧(むし)ろ盃(さかずき)をすすめられるのは刀ではない」と。その強い奴をつかわし自(みずか)らを豊かにさせて、その力をささげさせることができたことを言ったのである。
周人既纖而師史尤甚轉轂以百數
周人はすでにつつましく、しこうして師史が尤(もっと)も甚(はなは)だしく、轂(こしき 車輪の軸を受けるまるい部分)転(ころ)がすは百を以って数え、
賈郡國無所不至
郡国に商(あきな)って、至らないところは無かった。
洛陽街居在齊秦楚趙之中貧人學事富家
洛陽の大通りは、斉、秦、楚、趙の中心に据(す)えて在(あ)り、貧人が富家に仕(つか)えて学び、
相矜以久賈數過邑不入門
相(あい)つつしんで久しく商(あきな)うを以ってし、たびたび邑を通過しても門に入らず、
設任此等故師史能致七千萬
これらに委(ゆだ)ねるを設(もう)け、故(ゆえ)に 師史は七千万を成し遂げることができたのである。
宣曲任氏之先為督道倉吏
宣曲の任氏の先祖は督道倉吏をしていた。
秦之敗也豪傑皆爭取金玉而任氏獨窖倉粟
秦が敗(やぶ)れ、豪傑(ごうけつ)は争って皆(みな)金、玉を取ったが、任氏は独(ひと)り倉(くら)の粟(あわ)を穴倉(あなぐら)にたくわえた。
楚漢相距滎陽也民不得耕種米石至萬
楚、漢が栄陽で相(あい)対峙(たいじ)したとき、民は耕したり種をまいたりすることができず、
米一石が一万に至り、
而豪傑金玉盡歸任氏任氏以此起富
しこうして、豪傑(ごうけつ)の金、玉はことごとくみな任氏に帰(き)して、任氏はこれを以って富(とみ)を起こした。
富人爭奢侈而任氏折節為儉力田畜
富人は奢侈(しゃし)を争うが、任氏は折節(せつせつ)して倹約を為し、田畜(牧畜)にはげんだ。
田畜人爭取賤賈任氏獨取貴善
田畜(牧畜)人は争って安いものを取って商(あきな)うが、任氏は独(ひと)り高くて善いものを取った。
富者數世然任公家約非田畜所出弗衣食
富んだ者は数世代。然(しか)るに任公の家は、田畜(牧畜)が出したところでなければ、衣食にしないことを約束し、
公事不畢則身不得飲酒食肉
公の事が終わらなければ、身(み)みずから酒を飲んだり肉を食したりできなかった。
以此為閭里率故富而主上重之
此(こ)れを以って村里の標準(ひょうじゅん)と為って、故(ゆえ)に富(と)んで、主上はこれを重んじた。
斉の俗(ぞく)は賎(いや)しい奴虜で、しこうして刀間は独(ひと)りこれを愛し貴(とうと)んだ。
桀黠奴人之所患也唯刀收取
桀黠(けっかつ 悪知恵があって荒々しいこと)の奴は人の患(うれ)えるところであるが、唯(ただ)刀のみが収(おさ)め取り、
使之逐漁鹽商賈之利或連車騎
これをつかわして漁塩の商賈(しょうこ)の利(り)を追求させ、或(あ)るものは車騎を連(つら)ね、
交守相然愈益任之
太守、相に交(まじ)わった。然(しか)るに愈々(いよいよ)益々(ますます)これに委(ゆだ)ねた。
終得其力起富數千萬
終(しま)いにはその力を得て、富(とみ)を起こすこと数千万。
故曰寧爵毋刀言其能使豪奴自饒而盡其力
故(ゆえ)に曰く、「寧(むし)ろ盃(さかずき)をすすめられるのは刀ではない」と。その強い奴をつかわし自(みずか)らを豊かにさせて、その力をささげさせることができたことを言ったのである。
周人既纖而師史尤甚轉轂以百數
周人はすでにつつましく、しこうして師史が尤(もっと)も甚(はなは)だしく、轂(こしき 車輪の軸を受けるまるい部分)転(ころ)がすは百を以って数え、
賈郡國無所不至
郡国に商(あきな)って、至らないところは無かった。
洛陽街居在齊秦楚趙之中貧人學事富家
洛陽の大通りは、斉、秦、楚、趙の中心に据(す)えて在(あ)り、貧人が富家に仕(つか)えて学び、
相矜以久賈數過邑不入門
相(あい)つつしんで久しく商(あきな)うを以ってし、たびたび邑を通過しても門に入らず、
設任此等故師史能致七千萬
これらに委(ゆだ)ねるを設(もう)け、故(ゆえ)に 師史は七千万を成し遂げることができたのである。
宣曲任氏之先為督道倉吏
宣曲の任氏の先祖は督道倉吏をしていた。
秦之敗也豪傑皆爭取金玉而任氏獨窖倉粟
秦が敗(やぶ)れ、豪傑(ごうけつ)は争って皆(みな)金、玉を取ったが、任氏は独(ひと)り倉(くら)の粟(あわ)を穴倉(あなぐら)にたくわえた。
楚漢相距滎陽也民不得耕種米石至萬
楚、漢が栄陽で相(あい)対峙(たいじ)したとき、民は耕したり種をまいたりすることができず、
米一石が一万に至り、
而豪傑金玉盡歸任氏任氏以此起富
しこうして、豪傑(ごうけつ)の金、玉はことごとくみな任氏に帰(き)して、任氏はこれを以って富(とみ)を起こした。
富人爭奢侈而任氏折節為儉力田畜
富人は奢侈(しゃし)を争うが、任氏は折節(せつせつ)して倹約を為し、田畜(牧畜)にはげんだ。
田畜人爭取賤賈任氏獨取貴善
田畜(牧畜)人は争って安いものを取って商(あきな)うが、任氏は独(ひと)り高くて善いものを取った。
富者數世然任公家約非田畜所出弗衣食
富んだ者は数世代。然(しか)るに任公の家は、田畜(牧畜)が出したところでなければ、衣食にしないことを約束し、
公事不畢則身不得飲酒食肉
公の事が終わらなければ、身(み)みずから酒を飲んだり肉を食したりできなかった。
以此為閭里率故富而主上重之
此(こ)れを以って村里の標準(ひょうじゅん)と為って、故(ゆえ)に富(と)んで、主上はこれを重んじた。