名家苛察繳繞使人不得反其意
名家はきびしくとりしまり、まといついてとりまき、人をしてその意にそむくことを得さしめない。
專決於名而失人情故曰使人儉而善失真
専(もっぱ)ら名(外見上の形式)に於いて決し、人情を失っており、故(ゆえ)に曰く、『人をして節倹にさせ、しばしばその真(まこと)を失わせる』と。
若夫控名責實參伍不失此不可不察也
もし、それ、名(外見上の形式)を控(ひか)え、実(じつ)を責(せ)め、参伍(さんご)といりまぜて失(うしな)わなければ、これ、察しないべきではないのである。
道家無為又曰無不為其實易行其辭難知
道家は無為(むい)で、また曰く、為さずは無し、と。その実は行(おこな)い易(やす)く、その辞(じ)は理解することが難(むずか)しい。
其術以虛無為本以因循為用
その術(じゅつ)は虚無(きょむ)を以って本(もと)と為し、因循(従うことと守ること)を以って用(用いる)と為す。
無成埶無常形故能究萬物之情
勢(いきお)いを成(な)すことは無く、常(つね)の形は無く、故(ゆえ)に万物の情況を究(きわ)めることができる。
不為物先不為物後故能為萬物主
物の先(さき)に為らず、物の後(うし)ろに為らず、故(ゆえ)に万物の中心と為ることができる。
有法無法因時為業有度無度因物與合
法が有って法が無く、時に因(よ)りて業を為す。度が有って度が無く、物に因(よ)りて与(くみ)し合(あ)わす。
故曰聖人不朽時變是守
故(ゆえ)に曰く、『聖人は時の変化に朽(く)ちず(或いは朽=攻?)、守る(したがう)ことを是(ぜ)とする。
虛者道之常也因者君之綱也
虚(きょ)とは道の常(つね いつまでも変わらない)であり、因(いん したがうこと)とは君の綱(つな 人として守るべき道)である』と。
名家はきびしくとりしまり、まといついてとりまき、人をしてその意にそむくことを得さしめない。
專決於名而失人情故曰使人儉而善失真
専(もっぱ)ら名(外見上の形式)に於いて決し、人情を失っており、故(ゆえ)に曰く、『人をして節倹にさせ、しばしばその真(まこと)を失わせる』と。
若夫控名責實參伍不失此不可不察也
もし、それ、名(外見上の形式)を控(ひか)え、実(じつ)を責(せ)め、参伍(さんご)といりまぜて失(うしな)わなければ、これ、察しないべきではないのである。
道家無為又曰無不為其實易行其辭難知
道家は無為(むい)で、また曰く、為さずは無し、と。その実は行(おこな)い易(やす)く、その辞(じ)は理解することが難(むずか)しい。
其術以虛無為本以因循為用
その術(じゅつ)は虚無(きょむ)を以って本(もと)と為し、因循(従うことと守ること)を以って用(用いる)と為す。
無成埶無常形故能究萬物之情
勢(いきお)いを成(な)すことは無く、常(つね)の形は無く、故(ゆえ)に万物の情況を究(きわ)めることができる。
不為物先不為物後故能為萬物主
物の先(さき)に為らず、物の後(うし)ろに為らず、故(ゆえ)に万物の中心と為ることができる。
有法無法因時為業有度無度因物與合
法が有って法が無く、時に因(よ)りて業を為す。度が有って度が無く、物に因(よ)りて与(くみ)し合(あ)わす。
故曰聖人不朽時變是守
故(ゆえ)に曰く、『聖人は時の変化に朽(く)ちず(或いは朽=攻?)、守る(したがう)ことを是(ぜ)とする。
虛者道之常也因者君之綱也
虚(きょ)とは道の常(つね いつまでも変わらない)であり、因(いん したがうこと)とは君の綱(つな 人として守るべき道)である』と。