太史公學天官於唐都
太史公學天官於唐都受易於楊何習道論於黃子 太史公司馬談は唐都に天官を学び、楊何に易(えき)を受け、黄子に道論を習った。 太史公仕於建元元封之愍學者之不達其意而師悖乃論六家之要指曰 太史公司馬談は建元、元封年間に仕(つか)え、学者がその意を達せずして師が悖(もと)るのを患(うれ)え、そこで六家の要旨(ようし)を論じた、曰く、 易大傳天下一致而百慮同歸而殊涂...
View Article夫陰陽四時八位十二度二十四節各有教令
夫陰陽四時八位十二度二十四節各有教令 それ、陰陽の四時、八位、十二度、二十四節には各(おのおの)教令が有る。 順之者昌逆之者不死則亡未必然也故曰使人拘而多畏 これに順ずる者は栄(さか)え、これに叛(そむ)く者は死ぬか逃げるかで、未(ま)だ必ずしも然(しか)りではなく、故(ゆえ)に曰く、『人をして拘(かかわ)らせて畏(おそ)れる所が多い』と。 夫春生夏長秋收冬藏此天道之大經也...
View Article名家苛察繳繞使人不得反其意
名家苛察繳繞使人不得反其意 名家はきびしくとりしまり、まといついてとりまき、人をしてその意にそむくことを得さしめない。 專決於名而失人情故曰使人儉而善失真 専(もっぱ)ら名(外見上の形式)に於いて決し、人情を失っており、故(ゆえ)に曰く、『人をして節倹にさせ、しばしばその真(まこと)を失わせる』と。 若夫控名責實參伍不失此不可不察也...
View Article群臣并至使各自明也
群臣并至使各自明也 群臣が並び至り、各(おのおの)をして自らを明らかにさせるのである。 其實中其聲者謂之端實不中其聲者謂之窾 その実状がその言葉に中(あた)る者はこれを端的(たんてき)に謂(い)い、その実状がその言葉に中(あたら)ない者はこれをでたらめに謂(い)う。窾言不聽姦乃不生賢不肖自分白乃形...
View Article太史公執遷手而泣曰
太史公執遷手而泣曰余先周室之太史也 太史公司馬談は司馬遷の手を執(と)って泣いて曰く、「わたしの先祖は周室の太史である。 自上世嘗顯功名於虞夏典天官事 上世よりつねに虞(帝舜の国)、夏(帝禹の国)に於いて功名を顕(あきら)かにして、天官の事をつかさどった。 後世中衰絕於予乎汝復為太史則續吾祖矣...
View Article上大夫壺遂曰昔孔子何為而作春秋哉
上大夫壺遂曰昔孔子何為而作春秋哉 上大夫壺遂が曰く、「昔、孔子が何の為(ため)にして春秋を作ったのかな?}と。 太史公曰余聞董生曰周道衰廢孔子為魯司寇 太史公司馬遷曰く、「わたしは聞いた、董先生(董仲舒)が曰く、『周道が衰(おとろ)え廃(すた)れ、孔子が魯司寇に為ったとき、 諸侯害之大夫壅之孔子知言之不用道之不行也...
View Article壺遂曰孔子之時
壺遂曰孔子之時上無明君下不得任用 漢上大夫壷遂曰く、「孔子の時、上(うえ)には明君が無く、下(した)には任用できるものがなく、 故作春秋垂空文以斷禮義當一王之法 故(ゆえ)に春秋を作り、空(むな)しい文を垂(た)れて礼、義(ぎ)を断(だん)ずるを以って、一(いつ)に王の法に当(あ)てた。 今夫子上遇明天子下得守職萬事既具...
View Article於是論次其文
於是論次其文七年而太史公遭李陵之禍幽於縲紲 ここに於いてその文を順に論じた。七年して太史公は李陵(人名)の禍(わざわい)に遭(あ)い、牢屋に幽閉された。 乃喟然而嘆曰是余之罪也夫是余之罪也夫身毀不用矣 そこで喟然(きぜん)と嘆息(たんそく)して曰く、「これはわたしの罪なのだろうかな。これはわたしの罪なのだろうかな。身は傷つき用いられず」と。 退而深惟曰夫詩書隱約者欲遂其志之思也...
View Article此人皆意有所郁結
此人皆意有所郁結不得通其道也故述往事思來者 これらの人は皆(みな)意(い)は気がつまるところを有(ゆう)し、その道に通ずることを得ず、故(ゆえ)に往事(おうじ)を述(の)べ、未来を思う者である」と。 於是卒述陶唐以來至于麟止自黃帝始 ここに於いてとうとう陶唐(帝堯)以来、麟止に至るを述(の)べ、黄帝より始めた。 維昔黃帝法天則地四聖遵序各成法度...
View Article唐堯遜位
唐堯遜位虞舜不臺厥美帝功萬世載之作五帝本紀第一 唐堯((陶唐(国号)の堯帝)は位をゆずり、虞舜(有虞(国号)の舜帝)はよろこばず、それ、帝の功績をほめて、万世にこれをいただいて、五帝本紀を作るが、第一番目。 維禹之功九州攸同光唐虞際流苗裔 これ、夏禹王の功績は、九州はともにするところとなり、唐虞(堯帝、舜帝)の際(おり)に光輝き、徳は苗裔(びょうえい )に流れ、 夏桀淫驕乃放鳴條作夏本紀第二...
View Article維契作商
維契作商爰及成湯太甲居桐盛阿衡 これ、契(帝嚳の子)は商(殷)を作り、そして成湯(殷湯王(殷帝天乙))に及んだ。 殷帝太甲は桐宮に居住し、徳(とく)は阿衡(伊尹)で盛んになり、 武丁得說乃稱高宗 殷帝武丁は説(人名)を得て、すなわち高宗と称(たた)えられ、 帝辛湛湎諸侯不享作殷本紀第三 殷帝辛は酒色などに溺(おぼ)れて、諸侯は貢(みつ)がなくなった。殷本紀を作るが第三。...
View Article維秦之先伯翳
維秦之先伯翳佐禹穆公思義悼豪之旅 これ、秦の先祖の伯翳(大費 帝顓頊(黄帝公孫軒轅の孫)の孫の女修の子(大業)の子)は禹(後の夏后帝)を補佐し、秦穆公嬴任好は義(ぎ)を思い、悼(いた)み大声で泣くことの旅に(黄泉の国への旅?)に、 以人為殉詩歌黃鳥昭襄業帝作秦本紀第五 人を以ってお伴(とも)と為さしめ、詩は「黄鳥」を歌った。秦昭襄王嬴稷は帝(西帝と号した)を業とした。秦本紀を作るが第五。...
View Article秦失其道豪桀并擾
秦失其道豪桀并擾 秦はその道を失(うしな)い、豪傑(ごうけつ)がならび乱(みだ)れ、 項梁業之子羽接之 項梁(楚の武将)がこれを業として、子羽(甥(おい)の項羽(項籍))がこれを接(つ)ぎ、 殺慶救趙諸侯立之 慶(宋義)を殺して趙を救(すく)い、諸侯はこれを立てた。 誅嬰背懷天下非之作項羽本紀第七...
View Article惠之早霣諸呂不台
惠之早霣諸呂不台 漢孝恵帝劉盈が早く死に、諸(もろもろ)の呂氏はよろこばず、 崇彊祿產諸侯謀之 強い呂祿、呂産を崇(あが)め、諸侯はこれを謀(はか)り、 殺隱幽友大臣洞疑 趙隱王如意を殺し、趙幽王劉友(劉邦の子)を幽閉して殺し、大臣は恐れ疑い(洞=恫?)、 遂及宗禍作呂太后本紀第九 遂(つい)に劉一族の禍(わざわい)に及んだ。呂太后本紀を作るのが第九。 漢既初興繼嗣不明...
View Article諸侯驕恣吳首為亂
諸侯驕恣吳首為亂京師行誅七國伏辜 諸侯は驕(おご)り勝手きままになり、呉が首謀して乱をおこし、京師(みやこ)は誅(ちゅう)を行い、七国は重い罪に伏(ふ)した。 天下翕然大安殷富作孝景本紀第十一 天下は翕然(きゅうぜん)と集まり来て、大いに安んじ富み栄えた。孝景本紀を作るが第十一。 漢興五世隆在建元外攘夷狄內修法度...
View Article幽之後周室衰微
幽之後周室衰微 周幽王姫宮涅、周王姫胡の後、周室は衰微(すいび)し、 諸侯專政春秋有所不紀 諸侯は政治を専(もっぱ)らにし、春秋は記さないところが有り、 而譜牒經略五霸更盛衰 しこうして譜牒(事を並べて記した文書)の経略(天下を治め、四方の国を攻め従えること)は、五覇がこもごもに盛衰(せいすい)し、 欲睹周世相先後之意作十二諸侯年表第二...
View Article春秋之後陪臣秉政彊國相王
春秋之後陪臣秉政彊國相王 春秋の後、陪臣(ばいしん)は政治をとって、強い国はつぎつぎと王になり、 以至于秦卒并諸夏 秦に至るを以って、とうとう中国を併(あわ)せ、 滅封地擅其號作六國年表第三 封地を減らし、その号令をほしいままにした。六国年表を作るのが第三。 秦既暴虐楚人發難 秦がすでに暴虐(ぼうぎゃく)になると、楚人(陳渉)が難(なん)を発し、 項氏遂亂漢乃扶義征伐...
View Article維高祖元功輔臣股肱
維高祖元功輔臣股肱 これ、漢高祖(劉邦)の大功者の輔臣(主君に力添えする家来)股肱(君主のためにその手足となって仕える家来)は、 剖符而爵澤流苗裔 剖符(ほうふ 臣下の任命や爵位を与えるときなどの証拠として行われた)されて爵(しゃく)され、恩沢は苗裔に流れた。 忘其昭穆或殺身隕國作高祖功臣侯者年表第六 その昭穆(しょうぼく...
View Article國有賢相良將民之師表也
國有賢相良將民之師表也 国には賢相、良将軍がおり、民(たみ)の師表(しひょう 世の中の手本、模範となる人)である。 維見漢興以來將相名臣年表 これ、漢が興(おこ)って以来の将相、名臣の年表を見るに、 賢者記其治不賢者彰其事 賢者はその治(ち)を記(しる)され、不賢者はその事(こと)を彰(あきら)かにされる。 作漢興以來將相名臣年表第十 漢興以来将相名臣年表を作るのが第十。
View Article維三代之禮
維三代之禮所損益各殊務 これ、三代(夏、殷、周)の礼は失われたり付け加えられたりして、各(おのおの)が務(つと)めを殊(こと)にしたが、 然要以近性情通王道 然(しか)るに要(かなめ)は性情(せいじょう)に近づけるを以って、王道に通じることで、 故禮因人質為之節文略協古今之變作禮書第一...
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