維契作商爰及成湯太甲居桐盛阿衡
これ、契(帝嚳の子)は商(殷)を作り、そして成湯(殷湯王(殷帝天乙))に及んだ。 殷帝太甲は桐宮に居住し、徳(とく)は阿衡(伊尹)で盛んになり、
武丁得說乃稱高宗
殷帝武丁は説(人名)を得て、すなわち高宗と称(たた)えられ、
帝辛湛湎諸侯不享作殷本紀第三
殷帝辛は酒色などに溺(おぼ)れて、諸侯は貢(みつ)がなくなった。殷本紀を作るが第三。
維棄作稷盛西伯武王牧野實撫天下
これ、棄(帝嚳の子)は稷(周)を作り、徳(とく)は西伯姫昌で盛んになり、周武王姫発は牧野で戦い、実(まこと)に天下を撫(な)で安んじ、
幽昏亂既喪酆鎬
周幽王姫宮涅、周王姫胡の時に混乱し、すでに酆鎬をほろぼし、
陵遲至赧洛邑不祀作周本紀第四
だんだんおとろえて周赧王姫延に至り、洛邑は祭祀されなくなった。周本紀を作るが第四。
これ、契(帝嚳の子)は商(殷)を作り、そして成湯(殷湯王(殷帝天乙))に及んだ。 殷帝太甲は桐宮に居住し、徳(とく)は阿衡(伊尹)で盛んになり、
武丁得說乃稱高宗
殷帝武丁は説(人名)を得て、すなわち高宗と称(たた)えられ、
帝辛湛湎諸侯不享作殷本紀第三
殷帝辛は酒色などに溺(おぼ)れて、諸侯は貢(みつ)がなくなった。殷本紀を作るが第三。
維棄作稷盛西伯武王牧野實撫天下
これ、棄(帝嚳の子)は稷(周)を作り、徳(とく)は西伯姫昌で盛んになり、周武王姫発は牧野で戦い、実(まこと)に天下を撫(な)で安んじ、
幽昏亂既喪酆鎬
周幽王姫宮涅、周王姫胡の時に混乱し、すでに酆鎬をほろぼし、
陵遲至赧洛邑不祀作周本紀第四
だんだんおとろえて周赧王姫延に至り、洛邑は祭祀されなくなった。周本紀を作るが第四。