維秦之先伯翳佐禹穆公思義悼豪之旅
これ、秦の先祖の伯翳(大費 帝顓頊(黄帝公孫軒轅の孫)の孫の女修の子(大業)の子)は禹(後の夏后帝)を補佐し、秦穆公嬴任好は義(ぎ)を思い、悼(いた)み大声で泣くことの旅に(黄泉の国への旅?)に、
以人為殉詩歌黃鳥昭襄業帝作秦本紀第五
人を以ってお伴(とも)と為さしめ、詩は「黄鳥」を歌った。秦昭襄王嬴稷は帝(西帝と号した)を業とした。秦本紀を作るが第五。
始皇既立并兼六國銷鋒鑄鐻維偃干革
秦始皇帝嬴政がすでに立ち、六国を兼(か)ね併(あわ)せ、銷(すき)鋒(ほこ)は鐻(かねかけ)に鋳(い)られ、これ、戦争をやめて、
尊號稱帝矜武任力
尊号して帝を称(しょう)し、武(ぶ)をほこり力にゆだねた。
二世受運子嬰降虜作始皇本紀第六
秦二世皇帝嬴胡亥はめぐり合わせを授(さず)かり、子嬰(秦王嬴嬰)は虜(とりこ)に降(くだ)った。始皇本紀を作るが第六。
これ、秦の先祖の伯翳(大費 帝顓頊(黄帝公孫軒轅の孫)の孫の女修の子(大業)の子)は禹(後の夏后帝)を補佐し、秦穆公嬴任好は義(ぎ)を思い、悼(いた)み大声で泣くことの旅に(黄泉の国への旅?)に、
以人為殉詩歌黃鳥昭襄業帝作秦本紀第五
人を以ってお伴(とも)と為さしめ、詩は「黄鳥」を歌った。秦昭襄王嬴稷は帝(西帝と号した)を業とした。秦本紀を作るが第五。
始皇既立并兼六國銷鋒鑄鐻維偃干革
秦始皇帝嬴政がすでに立ち、六国を兼(か)ね併(あわ)せ、銷(すき)鋒(ほこ)は鐻(かねかけ)に鋳(い)られ、これ、戦争をやめて、
尊號稱帝矜武任力
尊号して帝を称(しょう)し、武(ぶ)をほこり力にゆだねた。
二世受運子嬰降虜作始皇本紀第六
秦二世皇帝嬴胡亥はめぐり合わせを授(さず)かり、子嬰(秦王嬴嬰)は虜(とりこ)に降(くだ)った。始皇本紀を作るが第六。