春秋之後陪臣秉政彊國相王
春秋の後、陪臣(ばいしん)は政治をとって、強い国はつぎつぎと王になり、
以至于秦卒并諸夏
秦に至るを以って、とうとう中国を併(あわ)せ、
滅封地擅其號作六國年表第三
封地を減らし、その号令をほしいままにした。六国年表を作るのが第三。
秦既暴虐楚人發難
秦がすでに暴虐(ぼうぎゃく)になると、楚人(陳渉)が難(なん)を発し、
項氏遂亂漢乃扶義征伐
項氏が遂(つい)に乱(みだ)れ、漢がそこで義帝(楚懐王熊心)によって、(項氏を)征伐(せいばつ)し、
八年之天下三嬗
八年の間で、天下は三度移り変わった。
事繁變眾故詳著秦楚之際月表第四
事は複雑で変化が多く、故(ゆえ)に秦、楚の際(さい)の月表を詳(くわ)しく著(あらわ)したのが第四。
漢興已來至于太初百年
漢が興(おこ)って以来、太初(年号)に至る百年は、
諸侯廢立分削譜紀不明
諸侯が廃されたり立ったり、分かれたり削られたりして、譜紀(系図を書いたもの)は明らかではなく、
有司靡踵彊弱之原云以世
役人が細かくたずねて、強弱の源(みなもと)が云(い)われるは世々(よよ)を以ってした。
作漢興已來諸侯年表第五
漢が興(おこ)って以来の諸侯年表を作るが第五。
春秋の後、陪臣(ばいしん)は政治をとって、強い国はつぎつぎと王になり、
以至于秦卒并諸夏
秦に至るを以って、とうとう中国を併(あわ)せ、
滅封地擅其號作六國年表第三
封地を減らし、その号令をほしいままにした。六国年表を作るのが第三。
秦既暴虐楚人發難
秦がすでに暴虐(ぼうぎゃく)になると、楚人(陳渉)が難(なん)を発し、
項氏遂亂漢乃扶義征伐
項氏が遂(つい)に乱(みだ)れ、漢がそこで義帝(楚懐王熊心)によって、(項氏を)征伐(せいばつ)し、
八年之天下三嬗
八年の間で、天下は三度移り変わった。
事繁變眾故詳著秦楚之際月表第四
事は複雑で変化が多く、故(ゆえ)に秦、楚の際(さい)の月表を詳(くわ)しく著(あらわ)したのが第四。
漢興已來至于太初百年
漢が興(おこ)って以来、太初(年号)に至る百年は、
諸侯廢立分削譜紀不明
諸侯が廃されたり立ったり、分かれたり削られたりして、譜紀(系図を書いたもの)は明らかではなく、
有司靡踵彊弱之原云以世
役人が細かくたずねて、強弱の源(みなもと)が云(い)われるは世々(よよ)を以ってした。
作漢興已來諸侯年表第五
漢が興(おこ)って以来の諸侯年表を作るが第五。