於是信問廣武君曰仆欲北攻燕
ここに於いて漢左丞相韓信大将軍は広武君李左車に問(と)うた曰く、「わたしは北に燕を攻め、
東伐齊何若而有功廣武君辭謝曰
東に斉を討(う)ちたいと欲するが、どのようなごとくすれば功が有るだろうか?」と。広武君李左車は辞(じ)して謝(しゃ)して曰く、
臣聞敗軍之將不可以言勇
「わたしは聞きます、敗軍(はいぐん)の将軍は、勇(いさ)ましさを言うことは不可(ふか)で、
亡國之大夫不可以圖存
亡国(ぼうこく)の大夫は存(ながら)えることを図(はか)ることは不可(ふか)であると。
今臣敗亡之虜何足以權大事乎
今、わたしは敗亡(はいぼう)の虜(とりこ)で、どうして大事(だいじ)をはかるを以ってするに足(た)るでしょうか」と。
信曰仆聞之百里奚居虞而虞亡
漢左丞相韓信大将軍曰く、「わたしはこれを聞く、百里奚は虞に居(い)たときにして虞は亡(ほろ)び、
在秦而秦霸非愚於虞而智於秦也
秦に在(あ)ったときにして秦は覇(は)したと。虞に於いて愚者で、秦に於いて智者であったのでは非(あら)ざるなり。
用與不用聽與不聽也誠令成安君聽足下計
用いるか用いないか、聴き入れるか聴き入れないかである。誠(まこと)に成安君(代王趙傅陳余)に令(れい)して足下(そっか)の計を聴き入れさせていれば、
若信者亦已為禽矣以不用足下故信得侍耳
わたしのごとくの者もまたすでに生け捕りと為っていただろう。足下(そっか)を用いなかったのを以って、故(ゆえ)にわたしは侍(はべ)るを得たのであってそれだけのことだ」と。
因固問曰仆委心歸計願足下勿辭
因(よ)りて固(かた)く問(と)うて曰く、「わたしは心を委(ゆだ)ねて計(はか)りごとにしたがうので、願わくは、足下(そっか)は辞(じ)することなかれ」と。
廣武君曰臣聞智者千慮必有一失
広武君曰く、「わたしは聞きます、智者は千回慮(おもんばか)って、必ず一つは失敗が有り、
愚者千慮必有一得
愚者は千回慮(おもんばか)って必ず一つは得ることが有(あ)る、と。
ここに於いて漢左丞相韓信大将軍は広武君李左車に問(と)うた曰く、「わたしは北に燕を攻め、
東伐齊何若而有功廣武君辭謝曰
東に斉を討(う)ちたいと欲するが、どのようなごとくすれば功が有るだろうか?」と。広武君李左車は辞(じ)して謝(しゃ)して曰く、
臣聞敗軍之將不可以言勇
「わたしは聞きます、敗軍(はいぐん)の将軍は、勇(いさ)ましさを言うことは不可(ふか)で、
亡國之大夫不可以圖存
亡国(ぼうこく)の大夫は存(ながら)えることを図(はか)ることは不可(ふか)であると。
今臣敗亡之虜何足以權大事乎
今、わたしは敗亡(はいぼう)の虜(とりこ)で、どうして大事(だいじ)をはかるを以ってするに足(た)るでしょうか」と。
信曰仆聞之百里奚居虞而虞亡
漢左丞相韓信大将軍曰く、「わたしはこれを聞く、百里奚は虞に居(い)たときにして虞は亡(ほろ)び、
在秦而秦霸非愚於虞而智於秦也
秦に在(あ)ったときにして秦は覇(は)したと。虞に於いて愚者で、秦に於いて智者であったのでは非(あら)ざるなり。
用與不用聽與不聽也誠令成安君聽足下計
用いるか用いないか、聴き入れるか聴き入れないかである。誠(まこと)に成安君(代王趙傅陳余)に令(れい)して足下(そっか)の計を聴き入れさせていれば、
若信者亦已為禽矣以不用足下故信得侍耳
わたしのごとくの者もまたすでに生け捕りと為っていただろう。足下(そっか)を用いなかったのを以って、故(ゆえ)にわたしは侍(はべ)るを得たのであってそれだけのことだ」と。
因固問曰仆委心歸計願足下勿辭
因(よ)りて固(かた)く問(と)うて曰く、「わたしは心を委(ゆだ)ねて計(はか)りごとにしたがうので、願わくは、足下(そっか)は辞(じ)することなかれ」と。
廣武君曰臣聞智者千慮必有一失
広武君曰く、「わたしは聞きます、智者は千回慮(おもんばか)って、必ず一つは失敗が有り、
愚者千慮必有一得
愚者は千回慮(おもんばか)って必ず一つは得ることが有(あ)る、と。