張耳者大梁人也其少時及魏公子毋忌為客
張耳という者は、大梁(魏の都)の人である。その青年時、魏公子の魏毋忌(魏無忌)が食客と為すに及(およ)んだ。
張耳嘗亡命游外黃外黃富人女甚美
張耳は嘗(かつ)て名をかくして外黄(魏の領地)に遊説したことがあった。外黄(魏の領地)の富豪の人の娘は甚(はなは)だ美しく、
嫁庸奴亡其夫去抵父客
凡庸(ぼんよう)な人に嫁(とつ)ぎ、その夫(おっと)を亡(な)くし、去(さ)って父親の賓客に至った。
父客素知張耳乃謂女曰
父の賓客は素(もと)より張耳を知っていたので、そこで娘に謂(い)った、曰く、
必欲求賢夫從張耳
「賢(かしこ)い夫(おっと)を求めて、張耳に従(したが)うことをかたく欲する」と。
女聽乃卒為請決嫁之張耳
娘は聞き入れた。そこで、とうとう離縁を請(こ)うを為し、これを張耳に嫁(とつ)がせた。
張耳是時脫身游女家厚奉給張耳
張耳はちょうどこの時、身(み)をのがれて遊説しており、娘の家は張耳に厚(あつ)く奉給(ほうきゅう)した。
張耳以故致千里客乃宦魏為外黃令
張耳は、故(ゆえ)に千里客(はるばる遠方から来た客)をまねくを以ってし、すなわち、魏に仕官(しかん)して外黄令と為った。
名由此益賢陳餘者亦大梁人也
名声はこれに由(よ)り賢(かしこ)さを益(ま)した。陳余という者もまた大梁(魏の都)の人である。
好儒術數游趙苦陘
儒教の学術を好(この)み、たびたび趙の苦陘(地名)に遊説した。
富人公乘氏以其女妻之
富豪人の公乗氏がその娘を以ってこれにめとらせたのは、
亦知陳餘非庸人也
また陳余の凡人(ぼんじん)ではないことを知ったからである。
餘年少父事張耳兩人相與為刎頸交
陳余は年若く、張耳に父のように仕(つか)え、両人は相(あい)ともに刎頚(ふんけい)の交(まじ)わりを為した。
張耳という者は、大梁(魏の都)の人である。その青年時、魏公子の魏毋忌(魏無忌)が食客と為すに及(およ)んだ。
張耳嘗亡命游外黃外黃富人女甚美
張耳は嘗(かつ)て名をかくして外黄(魏の領地)に遊説したことがあった。外黄(魏の領地)の富豪の人の娘は甚(はなは)だ美しく、
嫁庸奴亡其夫去抵父客
凡庸(ぼんよう)な人に嫁(とつ)ぎ、その夫(おっと)を亡(な)くし、去(さ)って父親の賓客に至った。
父客素知張耳乃謂女曰
父の賓客は素(もと)より張耳を知っていたので、そこで娘に謂(い)った、曰く、
必欲求賢夫從張耳
「賢(かしこ)い夫(おっと)を求めて、張耳に従(したが)うことをかたく欲する」と。
女聽乃卒為請決嫁之張耳
娘は聞き入れた。そこで、とうとう離縁を請(こ)うを為し、これを張耳に嫁(とつ)がせた。
張耳是時脫身游女家厚奉給張耳
張耳はちょうどこの時、身(み)をのがれて遊説しており、娘の家は張耳に厚(あつ)く奉給(ほうきゅう)した。
張耳以故致千里客乃宦魏為外黃令
張耳は、故(ゆえ)に千里客(はるばる遠方から来た客)をまねくを以ってし、すなわち、魏に仕官(しかん)して外黄令と為った。
名由此益賢陳餘者亦大梁人也
名声はこれに由(よ)り賢(かしこ)さを益(ま)した。陳余という者もまた大梁(魏の都)の人である。
好儒術數游趙苦陘
儒教の学術を好(この)み、たびたび趙の苦陘(地名)に遊説した。
富人公乘氏以其女妻之
富豪人の公乗氏がその娘を以ってこれにめとらせたのは、
亦知陳餘非庸人也
また陳余の凡人(ぼんじん)ではないことを知ったからである。
餘年少父事張耳兩人相與為刎頸交
陳余は年若く、張耳に父のように仕(つか)え、両人は相(あい)ともに刎頚(ふんけい)の交(まじ)わりを為した。