收殷餘民叔封始邑
殷の残った民を収(おさ)め、叔封(姫封 周文王の九男)が邑をおさめ始(はじ)め、
申以商亂酒材是告
申すは商(殷)の乱を以ってして、酒誥、梓材がここに告げられた。
及朔之生衛頃不寧
姫朔(衛恵公)の生まれるに及んで、衛は傾(かたむ)いて安(やす)んじなくなった。
南子惡蒯聵子父易名
南子(衛霊公姫元の寵姫)は姫蒯聵(衛太子)をそしり、子(姫輒)と父(姫蒯聵)が天命(名(めい)=命(めい)?)を交替(こうたい)した。
周卑微戰國既彊
周の徳が衰(おとろ)え、戦う国がまもなく強くなり、
衛以小弱角獨後亡
衛は弱小を以って、衛君姫角はただ一人で後継は亡(ほろ)んだ。
喜彼康誥作衛世家第七
彼(か)の康誥(殷の乱を以って衛康叔(姫封)に誡めた言葉)を喜び、衛世家を作るのが第七。
嗟箕子乎嗟箕子乎
ああ箕子よ、ああ箕子よ。
正言不用乃反為奴
言(げん)を正しても用いられず、そこでそむいて奴に為った。
武庚既死周封微子
武庚(子禄父(殷紂王(子辛)の子))がすでに死んで、周は微子(子啓または子開 殷紂王の庶兄)に封じた。
襄公傷於泓君子孰稱
宋襄公子茲甫は泓で傷(きず)つき、君子(くんし)は誰を称(たた)えようか。
景公謙熒惑退行
宋景公子頭曼は謙で、火星が退行した。
剔成暴虐宋乃滅亡
宋公子剔成は暴虐で 宋はすなわち滅亡した。
喜微子問太師作宋世家第八
微子が太師に問うたことを喜び、宋世家を作るのが第八。
殷の残った民を収(おさ)め、叔封(姫封 周文王の九男)が邑をおさめ始(はじ)め、
申以商亂酒材是告
申すは商(殷)の乱を以ってして、酒誥、梓材がここに告げられた。
及朔之生衛頃不寧
姫朔(衛恵公)の生まれるに及んで、衛は傾(かたむ)いて安(やす)んじなくなった。
南子惡蒯聵子父易名
南子(衛霊公姫元の寵姫)は姫蒯聵(衛太子)をそしり、子(姫輒)と父(姫蒯聵)が天命(名(めい)=命(めい)?)を交替(こうたい)した。
周卑微戰國既彊
周の徳が衰(おとろ)え、戦う国がまもなく強くなり、
衛以小弱角獨後亡
衛は弱小を以って、衛君姫角はただ一人で後継は亡(ほろ)んだ。
喜彼康誥作衛世家第七
彼(か)の康誥(殷の乱を以って衛康叔(姫封)に誡めた言葉)を喜び、衛世家を作るのが第七。
嗟箕子乎嗟箕子乎
ああ箕子よ、ああ箕子よ。
正言不用乃反為奴
言(げん)を正しても用いられず、そこでそむいて奴に為った。
武庚既死周封微子
武庚(子禄父(殷紂王(子辛)の子))がすでに死んで、周は微子(子啓または子開 殷紂王の庶兄)に封じた。
襄公傷於泓君子孰稱
宋襄公子茲甫は泓で傷(きず)つき、君子(くんし)は誰を称(たた)えようか。
景公謙熒惑退行
宋景公子頭曼は謙で、火星が退行した。
剔成暴虐宋乃滅亡
宋公子剔成は暴虐で 宋はすなわち滅亡した。
喜微子問太師作宋世家第八
微子が太師に問うたことを喜び、宋世家を作るのが第八。