武王既崩叔虞邑唐
周武王姫発がすでに崩じて、叔虞(姫虞 周成王姫誦の弟)が唐を邑とした。
君子譏名卒滅武公
君子(くんし)は名前をそしり、とうとう曲沃武公姫称に滅ぼされた。
驪姬之愛亂者五世
驪姫への愛が乱したのは五世。
重耳不得意乃能成霸
姫重耳(晋献公姫詭諸の子)は意を得なかったが、そこで覇(は)を成(な)すことができた。
六卿專權晉國以秏
六卿が権力を専(もっぱ)らにしたので、晋国は消耗するを以ってした。
嘉文公錫珪鬯作晉世家第九
晋文公姫仇が珪、鬯(香酒)を(周王室より)たまわったことを嘉(よみ)して、晋世家を作るのが第九。
重黎業之吳回接之
南正の重、北正の黎(いずれも帝顓頊の曾孫)はこれを仕事として、呉回(重、黎の弟)がこれを接(つ)いだ。
殷之季世粥子牒之
殷の末世に、粥子(鬻熊)がこれを系図にした。
周用熊繹熊渠是續
周は熊繹(鬻熊の曾孫)を用い、熊渠(熊繹の曾孫)がここに受継いだ。
莊王之賢乃復國陳
楚荘王熊侶は賢く、すなわち陳を復国させ、
既赦鄭伯班師華元
まもなく鄭伯を赦(ゆる)し、宋の華元により軍隊を引き返した。
懷王客死蘭咎屈原
楚懐王熊槐が客死すると、子蘭(楚懐王熊槐の子で楚令尹)は屈原をにくみ、
好諛信讒楚并於秦
諂(へつら)いを好み、讒言(ざんげん)を信じ、楚は秦に併合(へいごう)された。
嘉莊王之義作楚世家第十
楚荘王熊侶の義を嘉(よみ)して、楚世家を作るのが第十。
周武王姫発がすでに崩じて、叔虞(姫虞 周成王姫誦の弟)が唐を邑とした。
君子譏名卒滅武公
君子(くんし)は名前をそしり、とうとう曲沃武公姫称に滅ぼされた。
驪姬之愛亂者五世
驪姫への愛が乱したのは五世。
重耳不得意乃能成霸
姫重耳(晋献公姫詭諸の子)は意を得なかったが、そこで覇(は)を成(な)すことができた。
六卿專權晉國以秏
六卿が権力を専(もっぱ)らにしたので、晋国は消耗するを以ってした。
嘉文公錫珪鬯作晉世家第九
晋文公姫仇が珪、鬯(香酒)を(周王室より)たまわったことを嘉(よみ)して、晋世家を作るのが第九。
重黎業之吳回接之
南正の重、北正の黎(いずれも帝顓頊の曾孫)はこれを仕事として、呉回(重、黎の弟)がこれを接(つ)いだ。
殷之季世粥子牒之
殷の末世に、粥子(鬻熊)がこれを系図にした。
周用熊繹熊渠是續
周は熊繹(鬻熊の曾孫)を用い、熊渠(熊繹の曾孫)がここに受継いだ。
莊王之賢乃復國陳
楚荘王熊侶は賢く、すなわち陳を復国させ、
既赦鄭伯班師華元
まもなく鄭伯を赦(ゆる)し、宋の華元により軍隊を引き返した。
懷王客死蘭咎屈原
楚懐王熊槐が客死すると、子蘭(楚懐王熊槐の子で楚令尹)は屈原をにくみ、
好諛信讒楚并於秦
諂(へつら)いを好み、讒言(ざんげん)を信じ、楚は秦に併合(へいごう)された。
嘉莊王之義作楚世家第十
楚荘王熊侶の義を嘉(よみ)して、楚世家を作るのが第十。