少康之子實賓南海
夏王姒少康の子は、実に南海にしりぞき、
文身斷發黿鱓與處
文身断髪して、大亀とわにが処(ところ)をともにし、
既守封禺奉禹之祀
やがて封禺の山を守り、夏王姒禹の祭祀を奉(たてまつ)った。
句踐困彼乃用種蠡
越王姒句踐は彼(か)の地(会稽)で困窮し、そこで大夫種、范蠡を用いた。
嘉句踐夷蠻能修其
越王姒句踐の夷蛮(いばん)がその徳を修(おさ)めることができ、
滅彊吳以尊周室作越王句踐世家第十一
強い呉を滅ぼして周室を尊ぶを以ってしたことを嘉(よみ)して、越王句踐世家を作るのが第十一。
桓公之東太史是庸
鄭桓公姫友の東遷には、太史伯の言がここに用いられた。
及侵周禾王人是議
周の禾を侵(おか)すに及んで、王室の人々がここに議(ぎ)した。
祭仲要盟鄭久不昌
祭仲は盟約を強要され、鄭は久しく栄えなかった。
子產之仁紹世稱賢
子産(鄭相姫産 鄭成公姫睔の子)の仁(じん)は、代々受継いで賢を称(たた)えられた。
三晉侵伐鄭納於韓
三晋(韓、趙、魏)が侵伐(しんばつ)して、鄭は韓に納(おさ)められた。
嘉公納惠王作鄭世家第十二
鄭公姫突が周恵王姫閬を(周に)に納(おさ)めたことを嘉(よみ)して、鄭世家を作るのが第十二。
夏王姒少康の子は、実に南海にしりぞき、
文身斷發黿鱓與處
文身断髪して、大亀とわにが処(ところ)をともにし、
既守封禺奉禹之祀
やがて封禺の山を守り、夏王姒禹の祭祀を奉(たてまつ)った。
句踐困彼乃用種蠡
越王姒句踐は彼(か)の地(会稽)で困窮し、そこで大夫種、范蠡を用いた。
嘉句踐夷蠻能修其
越王姒句踐の夷蛮(いばん)がその徳を修(おさ)めることができ、
滅彊吳以尊周室作越王句踐世家第十一
強い呉を滅ぼして周室を尊ぶを以ってしたことを嘉(よみ)して、越王句踐世家を作るのが第十一。
桓公之東太史是庸
鄭桓公姫友の東遷には、太史伯の言がここに用いられた。
及侵周禾王人是議
周の禾を侵(おか)すに及んで、王室の人々がここに議(ぎ)した。
祭仲要盟鄭久不昌
祭仲は盟約を強要され、鄭は久しく栄えなかった。
子產之仁紹世稱賢
子産(鄭相姫産 鄭成公姫睔の子)の仁(じん)は、代々受継いで賢を称(たた)えられた。
三晉侵伐鄭納於韓
三晋(韓、趙、魏)が侵伐(しんばつ)して、鄭は韓に納(おさ)められた。
嘉公納惠王作鄭世家第十二
鄭公姫突が周恵王姫閬を(周に)に納(おさ)めたことを嘉(よみ)して、鄭世家を作るのが第十二。