韓厥陰趙武攸興
韓厥(韓献子)はひそかに徳をほどこし、趙武(趙文子)が悠然(ゆうぜん)と興(おこ)った。
紹絕立廢晉人宗之
絶えたのを継承し、廃したのを立て、晋人はこれを尊びうやまった。
昭侯顯列申子庸之
韓昭侯が列を顕(あきら)かにしたのは、申子(申不害)のてがらである。
疑非不信秦人襲之
韓非を疑って信じず、秦人はこれを襲(おそ)った。
嘉厥輔晉匡周天子之賦作韓世家第十五
韓厥が晋を補佐して周天子の賦を匡(ただ)したことを嘉(よみ)して、韓世家を作るのが第十五。
完子避難適齊為援
完子(陳完 嬀完 史記によれば陳公嬀他(陳桓公の弟)の子であり、陳公嬀他の次に陳桓公の子の嬀躍が陳利公として立ち五ヶ月で亡くなり、次に、次の弟の嬀林が陳荘公に為ったとしていますが、他文献の或るものでは陳完は嬀躍の子としており嬀躍が陳公としているものがあります。どちらともいえないですが、史記を読む限りでは陳杞世家、田敬仲完世家の両方を読んで、嬀他は陳公であり陳文公の子であり、陳完は嬀他の子であると言っており、陳公嬀他(陳文公の子)ー陳利公嬀躍(陳桓公の子)ー陳荘公嬀林(陳桓公の子)の系図には整合性があります)が難を避(さ)けて斉におもむき助けと為った。
陰施五世齊人歌之
ひそかに五世にわたって施(ほどこ)し、斉人はこれを歌った。
成子得政田和為侯
田成子(田常)は政治を得て、田和が斉侯に為った。
王建動心乃遷于共
斉王田建は心を動かし、すなわち共に遷った。
嘉威宣能撥濁世而獨宗周作田敬仲完世家第十六
斉威王田因斉、斉宣王田辟彊が濁世(だくせい)をただして、独(ひと)り周を尊びあがめたことを嘉(よみ)して、田敬仲完世家を作るのが第十六。
韓厥(韓献子)はひそかに徳をほどこし、趙武(趙文子)が悠然(ゆうぜん)と興(おこ)った。
紹絕立廢晉人宗之
絶えたのを継承し、廃したのを立て、晋人はこれを尊びうやまった。
昭侯顯列申子庸之
韓昭侯が列を顕(あきら)かにしたのは、申子(申不害)のてがらである。
疑非不信秦人襲之
韓非を疑って信じず、秦人はこれを襲(おそ)った。
嘉厥輔晉匡周天子之賦作韓世家第十五
韓厥が晋を補佐して周天子の賦を匡(ただ)したことを嘉(よみ)して、韓世家を作るのが第十五。
完子避難適齊為援
完子(陳完 嬀完 史記によれば陳公嬀他(陳桓公の弟)の子であり、陳公嬀他の次に陳桓公の子の嬀躍が陳利公として立ち五ヶ月で亡くなり、次に、次の弟の嬀林が陳荘公に為ったとしていますが、他文献の或るものでは陳完は嬀躍の子としており嬀躍が陳公としているものがあります。どちらともいえないですが、史記を読む限りでは陳杞世家、田敬仲完世家の両方を読んで、嬀他は陳公であり陳文公の子であり、陳完は嬀他の子であると言っており、陳公嬀他(陳文公の子)ー陳利公嬀躍(陳桓公の子)ー陳荘公嬀林(陳桓公の子)の系図には整合性があります)が難を避(さ)けて斉におもむき助けと為った。
陰施五世齊人歌之
ひそかに五世にわたって施(ほどこ)し、斉人はこれを歌った。
成子得政田和為侯
田成子(田常)は政治を得て、田和が斉侯に為った。
王建動心乃遷于共
斉王田建は心を動かし、すなわち共に遷った。
嘉威宣能撥濁世而獨宗周作田敬仲完世家第十六
斉威王田因斉、斉宣王田辟彊が濁世(だくせい)をただして、独(ひと)り周を尊びあがめたことを嘉(よみ)して、田敬仲完世家を作るのが第十六。