成皋之臺薄氏始基
成皋の台は、薄氏が基(もと)づいた始まりである。
詘意適代厥崇諸竇
意(い)を曲(ま)げて代におもむいたので、それ、諸(もろもろ)の竇氏を崇盛(しゅうせい)にさせた。
栗姬偩貴王氏乃遂
栗姫は貴をたのみにしたので、王氏がすなわちすすめあげられた。
陳後太驕卒尊子夫
陳后は大いに驕(おご)ており、とうとう衛子夫を尊(とうと)んだ。
嘉夫若斯作外戚世家十九
それ、徳はこのごとくであったことを嘉(よみ)して、外戚世家を作るのが第十九。
漢既譎謀禽信於陳
漢がすでに譎謀(けつぼう いつわりのはかりごと)して、楚王韓信を陳に於いて擒(とりこ)にした。
越荊剽輕乃封弟交為楚王
越、荊は剽軽(ひょうけい 荒々しく軽薄なこと)で、そこで(漢高祖劉邦の)弟の劉交に封じて楚王にした。
爰都彭城以彊淮泗
ここにおいて彭城を都にして、淮、泗を強くするを以って、
為漢宗藩戊溺於邪禮復紹之
漢の宗藩と為った。楚王劉戊(劉交の孫)は不正に溺(おぼ)れ、劉礼(劉交の子)がふたたびこれを受継いだ。
嘉游輔祖作楚元王世家二十
游(楚元王劉交のあざな)が祖(漢高祖劉邦)を補佐したことを嘉(よみ)して、楚元王世家を作るのが第二十。
成皋の台は、薄氏が基(もと)づいた始まりである。
詘意適代厥崇諸竇
意(い)を曲(ま)げて代におもむいたので、それ、諸(もろもろ)の竇氏を崇盛(しゅうせい)にさせた。
栗姬偩貴王氏乃遂
栗姫は貴をたのみにしたので、王氏がすなわちすすめあげられた。
陳後太驕卒尊子夫
陳后は大いに驕(おご)ており、とうとう衛子夫を尊(とうと)んだ。
嘉夫若斯作外戚世家十九
それ、徳はこのごとくであったことを嘉(よみ)して、外戚世家を作るのが第十九。
漢既譎謀禽信於陳
漢がすでに譎謀(けつぼう いつわりのはかりごと)して、楚王韓信を陳に於いて擒(とりこ)にした。
越荊剽輕乃封弟交為楚王
越、荊は剽軽(ひょうけい 荒々しく軽薄なこと)で、そこで(漢高祖劉邦の)弟の劉交に封じて楚王にした。
爰都彭城以彊淮泗
ここにおいて彭城を都にして、淮、泗を強くするを以って、
為漢宗藩戊溺於邪禮復紹之
漢の宗藩と為った。楚王劉戊(劉交の孫)は不正に溺(おぼ)れ、劉礼(劉交の子)がふたたびこれを受継いだ。
嘉游輔祖作楚元王世家二十
游(楚元王劉交のあざな)が祖(漢高祖劉邦)を補佐したことを嘉(よみ)して、楚元王世家を作るのが第二十。