維祖師旅劉賈是與
これ、漢高祖劉邦の戦いで、劉賈はここにともにした。
為布所襲喪其荊吳
淮南王英布の襲われるところと為って、その荊、呉をうしなった。
營陵激呂乃王瑯邪
営陵侯劉沢は呂氏に激(げき)し、そこで、瑯邪の王になった。
怵午信齊往而不歸
斉内史祝午が斉を信じさせ、往(い)きて帰れず、
遂西入關遭立孝文獲復王燕
遂(つい)に西に関に入り、漢孝文帝劉恒を遭立してふたたび燕で王になることを獲(え)た。
天下未集賈澤以族為漢藩輔作荊燕世家第二十一
天下が未(ま)だ安んじないうちに、劉賈、劉沢は同族を以って、漢藩と為って補佐した。荊燕世家を作るのが第二十一。
天下已平親屬既寡
天下がすでに平定されたが、親族はすでに少なく、
悼惠先壯實鎮東土
斉悼恵王劉肥(高祖劉邦の長庶子)が先んじて壮年で、実(じつ)に東土を鎮(しず)めた。
哀王擅興發怒諸呂
斉哀王劉襄(劉肥の子)は思うままに兵を興(おこ)して諸(もろもろ)の呂氏に怒りを発した。
駟鈞暴戾京師弗許
駟鈞(斉哀王劉襄の母の実家)は暴虐で、京師(みやこ)は聞き入れなかった。
之內淫禍成主父
斉王劉次景は内に淫らで、禍(わざわい)は主父偃でしずまった。
嘉肥股肱作齊悼惠王世家第二十二
斉悼恵王劉肥が 股肱(君主のためにその手足となって仕える家来)であったことを嘉(よみ)して、斉悼恵王世家を作るのが第二十二。
これ、漢高祖劉邦の戦いで、劉賈はここにともにした。
為布所襲喪其荊吳
淮南王英布の襲われるところと為って、その荊、呉をうしなった。
營陵激呂乃王瑯邪
営陵侯劉沢は呂氏に激(げき)し、そこで、瑯邪の王になった。
怵午信齊往而不歸
斉内史祝午が斉を信じさせ、往(い)きて帰れず、
遂西入關遭立孝文獲復王燕
遂(つい)に西に関に入り、漢孝文帝劉恒を遭立してふたたび燕で王になることを獲(え)た。
天下未集賈澤以族為漢藩輔作荊燕世家第二十一
天下が未(ま)だ安んじないうちに、劉賈、劉沢は同族を以って、漢藩と為って補佐した。荊燕世家を作るのが第二十一。
天下已平親屬既寡
天下がすでに平定されたが、親族はすでに少なく、
悼惠先壯實鎮東土
斉悼恵王劉肥(高祖劉邦の長庶子)が先んじて壮年で、実(じつ)に東土を鎮(しず)めた。
哀王擅興發怒諸呂
斉哀王劉襄(劉肥の子)は思うままに兵を興(おこ)して諸(もろもろ)の呂氏に怒りを発した。
駟鈞暴戾京師弗許
駟鈞(斉哀王劉襄の母の実家)は暴虐で、京師(みやこ)は聞き入れなかった。
之內淫禍成主父
斉王劉次景は内に淫らで、禍(わざわい)は主父偃でしずまった。
嘉肥股肱作齊悼惠王世家第二十二
斉悼恵王劉肥が 股肱(君主のためにその手足となって仕える家来)であったことを嘉(よみ)して、斉悼恵王世家を作るのが第二十二。