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韓信曰善從其策發使使燕燕從風而靡

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韓信曰善從其策發使使燕燕從風而靡

韓信曰く、「よろしい」と。その策(さく)に従(したが)い、使者を発して燕に使(つか)いさせ、
燕は風にして靡(なび)くように従(したが)った。

乃遣使報漢因請立張耳為趙王以鎮撫其國

そおで使者を遣(つか)わし漢に報告させ、因(よ)りて張耳を立てて趙王と為し、その国を鎮撫(ちんぶ)するを以ってすることを請(こ)うた。

漢王許之乃立張耳為趙王

漢王劉邦はこれを聞き入れ、そこで張耳を立てて趙王と為した。

楚數使奇兵渡河擊趙趙王耳

楚がたびたび奇兵をつかわし河を渡(わた)って趙を撃(う)たせた。趙王張耳、

韓信往來救趙因行定趙城邑發兵詣漢

漢左丞相韓信大将軍は往来(おうらい)して趙を救(すく)い、因(よ)りて行きながら趙の城邑を平定し、兵を発して漢に詣(もう)でた。

楚方急圍漢王於滎陽漢王南出之宛葉

楚はまさに急いで漢王劉邦を栄陽に於いて包囲(ほうい)し、漢王劉邦は南に脱出して、宛、葉の間に行き、

得黥布走入成皋楚又復急圍之

黥布(九江王英布)を得て、成皋に走り入り、楚もまた急いでこれを包囲(ほうい)した。

六月漢王出成皋東渡河

(漢三年)六月、漢王劉邦は成皋を脱出して、東に河を渡(わた)り、

獨與滕公俱從張耳軍修武

一人漢太僕滕公(昭平侯夏侯嬰)とともに連れ立って、修武で趙王張耳軍に合流しようと、

至宿傳舍晨自稱漢使馳入趙壁

至りて、伝舎(駅次の宿舎)に宿泊した。明け方、自(みずか)らを漢の使者と称(しょう)して、
趙のとりでに馳(は)せ入った。

張耳韓信未起即其臥內上奪其印符

趙王張耳、漢左丞相韓信大将軍が未(ま)だ起きないうちに、その寝室の中のかたわらでその印符を奪(うば)い、

以麾召諸將易置之

麾(指揮する旗)を以って諸将を召(め)しよせ、これを置きかえた。

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