信耳起乃知漢王來大驚
漢左丞相韓信大将軍、趙王張耳が起(お)きてすなわち、漢王劉邦が来たことを知り、大いに驚(おどろ)いた。
漢王奪兩人軍即令張耳備守趙地
漢王劉邦は二人の軍を奪(うば)い、すぐに趙王張耳に令(れい)して趙地を守備(しゅび)させた。
拜韓信為相國收趙兵未發者擊齊
漢左丞相韓信大将軍に官をさずけて漢相国と為し、趙兵の未(ま)だ発されてない者を収めて斉を撃(う)たせた。
信引兵東未渡平原
漢相国韓信大将軍は兵を引いて東へ進み、未(ま)だ平原を渡(わた)らないうちに、
聞漢王使酈食其已說下齊韓信欲止
漢王劉邦が酈食其をつかわしてすでに斉を説(と)き下(くだ)したと聞き、漢相国韓信大将軍は止(とど)まることを欲した。
范陽辯士蒯通說信曰將軍受詔擊齊
范陽の弁士(べんし)の蒯通が漢相国韓信大将軍に説(と)いた、曰く、「将軍は斉を撃(う)つ詔(みことのり)を受けており、
而漢獨發使下齊寧有詔止將軍乎
しこうして、漢はただ間使(かんし)を発して斉を下(くだ)させただけで、どうして将軍を止(と)める詔(みことのり)が有るでしょうか。
何以得毋行也且酈生一士伏軾掉三寸之舌
何ものを以って行かないことを得られるでしょうか。且(か)つ、酈生(酈食其)は一介の士で、軾(しきみ)に手をかけたままうつむいて礼(れい)をし、三寸の舌(した)を動かし、
下齊七十餘城將軍將數萬眾歲餘乃下趙五十餘
斉の七十余の城邑を下(くだ)しました。将軍は数万人の衆を率(ひき)いて、一年余りしてすなわち趙の五十余の城邑を下(くだ)しました。
為將數歲反不如一豎儒之功乎
数年率(ひき)いることを為さないと、かえりみて一介のくだらない儒者(じゅしゃ)の功(こう)に及(およ)ばないのでしょうか」と。
於是信然之從其計遂渡河齊已聽酈生
ここに於いて漢相国韓信大将軍はこれを然(しか)りと思い、その計(はか)りごとに従(したが)い、
遂(つい)に河を渡(わた)った。斉はすでに酈生(酈食其)を聴きいれており、
即留縱酒罷備漢守御信因襲齊歷下軍遂至臨菑
すなわちほしいままに酒宴をして留(とど)め、漢の守御(しゅぎょ)に備(そな)えることをやめていた。漢相国韓信大将軍は因(よ)りて斉の歷下(地名)の軍を襲(おそ)い、遂(つい)に臨菑に至(いた)った。
齊王田廣以酈生賣己乃亨之
斉王田広は酈生(酈食其)が己(おのれ)をあざむいたと思い、すなわちこれを烹刑にし、
而走高密使使之楚請救
しこうして高密に逃走し、使者をつかわして楚に救援を請(こ)いに行かせた。
韓信已定臨菑遂東追廣至高密西
漢相国韓信大将軍はすでに臨菑を平定し、遂(つい)に東に斉王田広を追って高密の西に至った。
楚亦使龍且將號稱二十萬救齊
楚もまた龍且をつかわし兵を率(ひき)いさせ、号して二十万と称して斉を救援させた。
漢左丞相韓信大将軍、趙王張耳が起(お)きてすなわち、漢王劉邦が来たことを知り、大いに驚(おどろ)いた。
漢王奪兩人軍即令張耳備守趙地
漢王劉邦は二人の軍を奪(うば)い、すぐに趙王張耳に令(れい)して趙地を守備(しゅび)させた。
拜韓信為相國收趙兵未發者擊齊
漢左丞相韓信大将軍に官をさずけて漢相国と為し、趙兵の未(ま)だ発されてない者を収めて斉を撃(う)たせた。
信引兵東未渡平原
漢相国韓信大将軍は兵を引いて東へ進み、未(ま)だ平原を渡(わた)らないうちに、
聞漢王使酈食其已說下齊韓信欲止
漢王劉邦が酈食其をつかわしてすでに斉を説(と)き下(くだ)したと聞き、漢相国韓信大将軍は止(とど)まることを欲した。
范陽辯士蒯通說信曰將軍受詔擊齊
范陽の弁士(べんし)の蒯通が漢相国韓信大将軍に説(と)いた、曰く、「将軍は斉を撃(う)つ詔(みことのり)を受けており、
而漢獨發使下齊寧有詔止將軍乎
しこうして、漢はただ間使(かんし)を発して斉を下(くだ)させただけで、どうして将軍を止(と)める詔(みことのり)が有るでしょうか。
何以得毋行也且酈生一士伏軾掉三寸之舌
何ものを以って行かないことを得られるでしょうか。且(か)つ、酈生(酈食其)は一介の士で、軾(しきみ)に手をかけたままうつむいて礼(れい)をし、三寸の舌(した)を動かし、
下齊七十餘城將軍將數萬眾歲餘乃下趙五十餘
斉の七十余の城邑を下(くだ)しました。将軍は数万人の衆を率(ひき)いて、一年余りしてすなわち趙の五十余の城邑を下(くだ)しました。
為將數歲反不如一豎儒之功乎
数年率(ひき)いることを為さないと、かえりみて一介のくだらない儒者(じゅしゃ)の功(こう)に及(およ)ばないのでしょうか」と。
於是信然之從其計遂渡河齊已聽酈生
ここに於いて漢相国韓信大将軍はこれを然(しか)りと思い、その計(はか)りごとに従(したが)い、
遂(つい)に河を渡(わた)った。斉はすでに酈生(酈食其)を聴きいれており、
即留縱酒罷備漢守御信因襲齊歷下軍遂至臨菑
すなわちほしいままに酒宴をして留(とど)め、漢の守御(しゅぎょ)に備(そな)えることをやめていた。漢相国韓信大将軍は因(よ)りて斉の歷下(地名)の軍を襲(おそ)い、遂(つい)に臨菑に至(いた)った。
齊王田廣以酈生賣己乃亨之
斉王田広は酈生(酈食其)が己(おのれ)をあざむいたと思い、すなわちこれを烹刑にし、
而走高密使使之楚請救
しこうして高密に逃走し、使者をつかわして楚に救援を請(こ)いに行かせた。
韓信已定臨菑遂東追廣至高密西
漢相国韓信大将軍はすでに臨菑を平定し、遂(つい)に東に斉王田広を追って高密の西に至った。
楚亦使龍且將號稱二十萬救齊
楚もまた龍且をつかわし兵を率(ひき)いさせ、号して二十万と称して斉を救援させた。