秦所以東攘雄諸侯樗裏甘茂之策作樗裏甘茂列傳第十一
秦が東に雄雄しい諸侯を追いはらうを以ってしたところは、樗裏(嬴疾 秦恵王嬴駟の異母弟)、甘茂の策である。樗裏甘茂列伝を作るのが第十一。
苞河山圍大梁
河山をつつみ、大梁を包囲して、
使諸侯斂手而事秦者魏冉之功作穰侯列傳第十二
諸侯をして手をしまいこませて秦に仕(つか)えさせたのは、魏冉(穣侯魏冉 宣太后(秦昭穣王嬴稷の母)の異父弟)の功である。穣王列伝を作るのが第十二。
南拔鄢郢北摧長平遂圍邯鄲武安為率
南に鄢、郢を攻め落とし、北に長兵をくだき、遂(つい)に邯鄲を包囲たのは、武安君白起が帥(すい)に為ったからで、
破荊滅趙王翦之計作白起王翦列傳第十三
荊を破り、趙を滅ぼしたのは、王翦(秦将)の計である。
獵儒墨之遺文明禮義之統紀
儒、墨の遺(のこ)した文をあさり探(さが)して、礼義の統紀を明らかにし、
絕惠王利端列往世興衰作孟子荀卿列傳第十四
梁恵王魏罃の利欲の端緒(たんちょ)を絶(た)って、過ぎ去った世の盛衰(せいすい)を列した。
孟子荀卿列伝を作るのが第十四。
好客喜士士歸于薛為齊捍楚魏作孟嘗君列傳第十五
客を好(この)み、士を喜び、士は薛(孟嘗君田文の領地)に帰属し、斉の為(ため)に楚、魏を防(ふせ)いだ。孟嘗君列伝を作るのが第十五。
秦が東に雄雄しい諸侯を追いはらうを以ってしたところは、樗裏(嬴疾 秦恵王嬴駟の異母弟)、甘茂の策である。樗裏甘茂列伝を作るのが第十一。
苞河山圍大梁
河山をつつみ、大梁を包囲して、
使諸侯斂手而事秦者魏冉之功作穰侯列傳第十二
諸侯をして手をしまいこませて秦に仕(つか)えさせたのは、魏冉(穣侯魏冉 宣太后(秦昭穣王嬴稷の母)の異父弟)の功である。穣王列伝を作るのが第十二。
南拔鄢郢北摧長平遂圍邯鄲武安為率
南に鄢、郢を攻め落とし、北に長兵をくだき、遂(つい)に邯鄲を包囲たのは、武安君白起が帥(すい)に為ったからで、
破荊滅趙王翦之計作白起王翦列傳第十三
荊を破り、趙を滅ぼしたのは、王翦(秦将)の計である。
獵儒墨之遺文明禮義之統紀
儒、墨の遺(のこ)した文をあさり探(さが)して、礼義の統紀を明らかにし、
絕惠王利端列往世興衰作孟子荀卿列傳第十四
梁恵王魏罃の利欲の端緒(たんちょ)を絶(た)って、過ぎ去った世の盛衰(せいすい)を列した。
孟子荀卿列伝を作るのが第十四。
好客喜士士歸于薛為齊捍楚魏作孟嘗君列傳第十五
客を好(この)み、士を喜び、士は薛(孟嘗君田文の領地)に帰属し、斉の為(ため)に楚、魏を防(ふせ)いだ。孟嘗君列伝を作るのが第十五。