爭馮亭以權如楚以救邯鄲之圍
上党守の馮亭を争ってはかるを以ってし、楚に行き邯鄲の包囲を救(すく)い、
使其君復稱於諸侯作平原君虞卿列傳第十六
その君(趙孝成王趙丹)をしてふたたび諸侯に称さしめた。平原君虞卿列伝を作るのが第十六。
能以富貴下貧賤賢能詘於不肖
富貴が貧賤にへりくだり、賢能が不肖(ふしょう)にへりくだるを以ってすることができるのは、
唯信陵君為能行之作魏公子列傳第十七
唯(ただ)信陵君魏無忌のみがこれを行うことができると為す。魏公子列伝を作るのが第十七。
以身徇君遂脫彊秦
身(み)を以って君に殉(じゅん)じようとし、遂(つい)に強い秦を脱出し、
使馳說之士南鄉走楚者黃歇之義作春申君列傳第十八
馳說の士をして南に向って楚に走らせたのは、黄歇(春申君)の義(ぎ)である。春申君列伝を作るのが第十八。
能忍於魏齊而信威於彊秦
魏、斉に忍(しの)ぶことができ、強い秦に於いて威(い)を伸(の)ばし、
推賢讓位二子有之作范睢蔡澤列傳第十九
賢を推挙して位を譲(ゆず)り、二氏がこれに有る。范睢蔡沢列伝を作るのが第十九。
上党守の馮亭を争ってはかるを以ってし、楚に行き邯鄲の包囲を救(すく)い、
使其君復稱於諸侯作平原君虞卿列傳第十六
その君(趙孝成王趙丹)をしてふたたび諸侯に称さしめた。平原君虞卿列伝を作るのが第十六。
能以富貴下貧賤賢能詘於不肖
富貴が貧賤にへりくだり、賢能が不肖(ふしょう)にへりくだるを以ってすることができるのは、
唯信陵君為能行之作魏公子列傳第十七
唯(ただ)信陵君魏無忌のみがこれを行うことができると為す。魏公子列伝を作るのが第十七。
以身徇君遂脫彊秦
身(み)を以って君に殉(じゅん)じようとし、遂(つい)に強い秦を脱出し、
使馳說之士南鄉走楚者黃歇之義作春申君列傳第十八
馳說の士をして南に向って楚に走らせたのは、黄歇(春申君)の義(ぎ)である。春申君列伝を作るのが第十八。
能忍於魏齊而信威於彊秦
魏、斉に忍(しの)ぶことができ、強い秦に於いて威(い)を伸(の)ばし、
推賢讓位二子有之作范睢蔡澤列傳第十九
賢を推挙して位を譲(ゆず)り、二氏がこれに有る。范睢蔡沢列伝を作るのが第十九。