仲尼曰褅自既灌而往者吾不欲觀之矣
仲尼(孔子)曰く、「褅(天をまつる祭り)ですでに灌(祭礼のときに地に酒をそそぐこと)してよりあとのものは、吾(われ)はこれを観(み)ることを欲しない」と。
周衰禮廢樂壞大小相踰
周が衰(おとろ)え、礼が廃(すた)れ、楽が壊(こわ)れ、大も小も互いに勝とうとして、
管仲之家兼備三歸循法守正者見侮於世
管仲の家は三帰(一説では三つの諸侯から夫人を娶ったこと)を兼(か)ね備(そな)えた。
法に従い正を守る者は世に於いて侮(あなど)りの目にあい、
奢溢僭差者謂之顯榮自子夏門人之高弟也
贅沢三昧をして身分不相応におごるものは栄(さか)えを顕(あきら)かにすると謂(い)う。
門人の高弟である子夏より、
猶云出見紛華盛麗而說入聞夫子之道而樂
猶(なお)云(い)う、「出れば豪華でたいそう麗(うるわ)しいものを見れば悦(よろこ)び、入れば夫子(孔子)の道を聞いて楽しみ、
二者心戰未能自決而況中庸以下
二つのものは心のなかで戦い、未(ま)だ自ら決めることができていません」と。しこうして、中庸(凡庸)以下の才能の者ならばなおのことである。
漸漬於失教被服於成俗乎
少しずつ教(おし)えを失うことに漬(つ)かっていき、被服は俗(ぞく)に成(な)っていくのだろうか。
孔子曰必也正名於衛所居不合
孔子曰く、「必ずや、正(ただ)し明(あき)らかにする(名(めい)=明(めい)?」と。衛に於いて居(い)たところは合わなかった。
仲尼沒後受業之徒沈湮而不舉
仲尼(孔子)の没後、授業をさずかった仲間たちは沈(しず)みうもれて挙(あ)げられず、
或適齊楚或入河海豈不痛哉
或(あ)るものは斉、楚におもむき、或(あ)るものは河、海に入った。どうして痛(いた)ましくないだろうかな。
仲尼(孔子)曰く、「褅(天をまつる祭り)ですでに灌(祭礼のときに地に酒をそそぐこと)してよりあとのものは、吾(われ)はこれを観(み)ることを欲しない」と。
周衰禮廢樂壞大小相踰
周が衰(おとろ)え、礼が廃(すた)れ、楽が壊(こわ)れ、大も小も互いに勝とうとして、
管仲之家兼備三歸循法守正者見侮於世
管仲の家は三帰(一説では三つの諸侯から夫人を娶ったこと)を兼(か)ね備(そな)えた。
法に従い正を守る者は世に於いて侮(あなど)りの目にあい、
奢溢僭差者謂之顯榮自子夏門人之高弟也
贅沢三昧をして身分不相応におごるものは栄(さか)えを顕(あきら)かにすると謂(い)う。
門人の高弟である子夏より、
猶云出見紛華盛麗而說入聞夫子之道而樂
猶(なお)云(い)う、「出れば豪華でたいそう麗(うるわ)しいものを見れば悦(よろこ)び、入れば夫子(孔子)の道を聞いて楽しみ、
二者心戰未能自決而況中庸以下
二つのものは心のなかで戦い、未(ま)だ自ら決めることができていません」と。しこうして、中庸(凡庸)以下の才能の者ならばなおのことである。
漸漬於失教被服於成俗乎
少しずつ教(おし)えを失うことに漬(つ)かっていき、被服は俗(ぞく)に成(な)っていくのだろうか。
孔子曰必也正名於衛所居不合
孔子曰く、「必ずや、正(ただ)し明(あき)らかにする(名(めい)=明(めい)?」と。衛に於いて居(い)たところは合わなかった。
仲尼沒後受業之徒沈湮而不舉
仲尼(孔子)の没後、授業をさずかった仲間たちは沈(しず)みうもれて挙(あ)げられず、
或適齊楚或入河海豈不痛哉
或(あ)るものは斉、楚におもむき、或(あ)るものは河、海に入った。どうして痛(いた)ましくないだろうかな。